1ページ目から読む
2/4ページ目

ランニングの普及、貧困地域での出会い……ケニアで体験したこと

——これまでに何ヵ国くらい行かれたのでしょうか?

高橋 JICAとのプロジェクトでは13ヵ国に行きました。ケニアに靴を送る支援は11年かけて目標に達し、いったん終了したのですが、その間に現地でいろいろなことを体験できました。

高橋さん自らサイズを合うか確認して1足1足手渡した ©アフリカ スマイル プロジェクト

 現地で皆さんにランニングの普及をしたり、世界の貧困地域に足を運び、ストリートチルドレンや施設を訪ねたり。

ADVERTISEMENT

 活動をはじめて1年目、私は靴をもらった子どもたちが、うれしくて羽が生えたように飛び回るのを想像していました。ナイロビのスラム街に向かうと、途中からすごい匂いがして、ゴミが積もっていて。そこを子どもたちがはだしで走り回っていました。

 病院を視察したときに、25歳くらいの青年がいたんです。彼は足の指が切り落とされていました。「靴があったら、こんなことにならなかったのに」と言われ、自分が恥ずかしくなりました。靴は楽しく走り回るだけのものではなくて、命を守る大切な防具なんだということを知りました。

モーリスくんの靴

——実際に靴をもらった子たちの反応はどうでしたか?

高橋 最初に2000人の子どもがいる学校に行って、1人1人にサイズの合ったものを1日がかりではかせてあげました。そのとき私が「陸上選手になりたい人?」って聞いたら、1人だけ手をあげたんです。モーリスくんという小学4年生の男の子でした。なりたい理由を尋ねると、彼は言いました。「僕は貧しいけれど、お父さん、お母さんがいる。けれども、ケニアには両親がいない子もたくさんいる。陸上で活躍して、その子たちを助けたいんだ」。ケニアでは長距離走で活躍するという、サクセスストーリーがあるんです。

最初のケニア視察で出会ったモーリスくん。1年後に会ったとき、彼の靴はボロボロになっていた 
©アフリカ スマイル プロジェクト

 2年目に会いに行くと、モーリスくんが走ってきて「尚子、ごめんね」って。「毎日毎日、僕は洗ったんだよ。でもこんなにボロボロになってしまったんだ」。そう言って、親指も人差し指も全部穴があきそうな靴を見せてくれたんです。ものはここまで使えるんだということを初めて知りました。私はあらためて学んだ「大切に使うこと」を日本で伝えなければと思いました。

 そして、靴を送ってくれた日本の子どもたちには、ケニアの子たちが育てたヒマワリの種を渡します。「靴を送ったことを忘れないで、緑化運動につなげてね」という思いを込めています。

 ケニアからは、子どもたちが育てたヒマワリのタネが日本に届けられた。一方通行の支援では終わらない ©アフリカ スマイル プロジェクト

 そしてその年、スラム街に陸上クラブができたんです。30~40人の子が集まって練習するようになった。スラムに生まれたことで、「自分たちなんて」と下を向いていた子たちが、生き生きとしてきました。