昨年、“史上最年長”で初タイトルを獲得した47歳の木村一基王位。対するは“史上最年少”タイトル挑戦の記録を塗り替えた17歳の藤井聡太七段。対照的と言われる2人の棋歴。7月1・2日に愛知県豊橋市で行われた王位戦七番勝負第1局。そのウラのストーリーを“教授”勝又清和七段がレポートする。(全2回の1回目/#2を読む

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 タイトル戦で木村一基が上座に着く。駒箱を開ける。王将を持つ。ファンが長いあいだ待ち望んだ光景だ。

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 ABEMAテレビに力強く飛車先をつく木村の手付きが映った。木村さん、気合が入っているなとおもいつつ家を出た。

7月1・2日に愛知県豊橋市で行われた王位戦七番勝負の第1局 ©代表撮影:日本将棋連盟

 豊橋行きの新幹線に乗り、うたた寝をしながら神奈川県鶴巻温泉の陣屋での出来事が次々と頭に浮かんでいた。私は陣屋でたくさんの喜びと悲しみを見てきた。しかし木村に関するドラマはほとんどが悲劇だった。

 たったひとつを除いては――。

4年前の「新宿行って終電なくなるまで飲んじゃったよ」

 2016年9月27日、木村の6回目のタイトル挑戦が終わった。羽生善治王位に挑んだ王位戦7番勝負に3勝4敗で敗れたのだ。勝てばタイトル獲得の一番を負けるのはこれが8回目。控室には木村から3連敗から4連勝で王位の逆転防衛(2009年)を果たした深浦康市九段がいた。木村がタイトルを取ったら「おめでとう」を言うつもりだったが、その機会はなかった。

 打ち上げからかなり時間が経ったころ、木村に話しかけられた。

2016年、第57期王位戦第7局。挑戦者の木村一基八段(当時、右)は羽生善治王位に敗れる ©共同通信社

「これが最後のチャンスだと思っていたんですよ」。私は返す言葉がなかった。この年、28歳の佐藤天彦九段が羽生を破って新名人となっていた。佐藤と同じ世代の棋士が台頭し、世代交代が始まろうとしていた。 後日木村と話すと、「あの後、栄ちゃん(飯島栄治七段)と松尾くん(松尾歩八段)と新宿行って終電なくなるまで飲んじゃったよ」と笑いながら語った。

 後に「自分の中で、ある部分が終わったと思いました。もう一度、もう一度と挑戦してきたのが、今度こそ本当にダメになったんだと」と綴っている(『受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基』)。

1年前の「えっ、師匠に挨拶しないで帰るの?」

 2019年9月10日、木村は挑戦者決定戦で羽生を破り、4度王位戦の舞台に帰ってきた。

 陣屋の解説会では、木村ファンが大勢集まり、史上最高210人の入場者を記録した。