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「この英語の歌をカラオケで歌えるようになりたいねん」――綿矢りさ「激煌短命」第二回

2020/10/28
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※こちらは2019年8月号から雑誌「文學界」に連載中の小説「激煌短命」のWEBバージョンです(第一回から続く)。

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(あらすじ)第一志望には落ちてしまったが、久乃の中学生活が始まった。一緒の小学校だったたむじゅんは、入学後すっかり派手になった。たむじゅんと仲が良い朱村綸を、久乃は自分とは別の人間と感じながらも、入学式で交わした言葉が忘れられない。

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綿矢さんが描いた「たむじゅん」

 三

 なにが正しいのか分からないまま、ただあげ足を取られないよう気をつけつつ、毎日学校へ通う。一クラス三十七人もいるんだから、私一人の行動なんてだれも気にしてないと思っても、教室にいるかぎり完全には存在を消せなくて、むしろ元気にはしゃいでないと、悠木さんはどう思う、なんで黙ってるん、と話をふられて、逆に目立ってしまう不思議。

 八時三十分までに登校して教室へ行き、本鈴が鳴ると始まる朝読書は、一日の時間割のなかでもっとも好きな時間だ。読む本は自由に決められるから、イギリスの児童文学作家が書いたシリーズものばかり読んで、もう三冊目。おてんばエリザベスは念願のラクロスの試合に出られるのか、性悪ロバートはちゃんと馬の世話をするのか。

 あともうちょっとで分かるというときに時間がきて、読みかけのページのまま、かもめが飛ぶ形に開いた文庫本を机の上に伏せる。熱心に読むうちに汗ばんだ腕の裏が机に張りついてしまったのを、ゆっくりとはがす。もう十五分も経ったなんて信じられない。朝読書の時間は短すぎる。もうすぐ先生が来て授業が始まると分かっていても、またページを開きたくてたまらない。

 昼休み、千賀子ちゃんが部活でやりかけの刺しゅうを完成させたいと部室の家庭科室へ行ってしまった。普通ならさびしいけど、今日はチャンスだ。さっそく本を取り出して朝読書の続きを開く。

 モールス信号のような音が聞こえるなとは思っていた。ただ遠くの離れた場所で鳴っているようだったので、ふと本から目を離したときに知らない人差し指が自分の机を叩いてるのを見てびっくりした。

 ワタシヲ ミテ

「やっと気づいた」

 顔を上げると朱村さんがいて、私の前の席に座った。

「すごい熱心に読んでたな。なんていう本?」

「大したものちゃうよ」

 彼女は傾いている私の本を指で持ち上げて表紙を見ようとしたが、着物地のブックカバーがかかっているのに気づいて、あきらめた。

「悠木さん、まえに真藤先生が言ったこと、おぼえてる?」

「英語の勉強の話やんな」

「うん。じゃあまぁ、テキトーに教えてよ。早よ済まそ」

 少しぶっきらぼうに、彼女は自分の採点済みの答案を私の机に置いた。点数の部分は慎重に三角に折って隠している。

 勇気の鈴がりんりんりん。

 先週英語の授業のあとに、朱村さんは私たちの担任で英語も教えている真藤先生に呼び出されていた。ふだん笑顔の朱村さんが話している先生の顔も見ず、不機嫌そうにうつむいてるから、何があったのかと他の子たちもちらちら見てて、けっこう目立ってた。