生まれるまえからの付き合いなら、さっきの雰囲気もうなずける。私はふたたび朱村さんの持ってきた歌詞カードに目を落とした。
「Eternal Flameっていうんや。私は知らんけど、有名な曲なん? なんでこの歌がいいん?」
「うちの店内BGMによく流れてて、好きやねん。でも英語分からんし、どんな意味か知らんけど。なぁどうやったら英語の発音ぽく聞こえるように歌える?」
「とりあえず発音記号を意識して発音してみたら」
「発音記号ってなに? 習ったような気もするけど、覚えてへん」
歌詞にhandの文字を見つけたから、発音記号のæをノートに書いた。
「へえ! こんなんあるんや」
「最初の方の授業で習ったで」
「どんな発音なん?」
「AとEを足したような発音。アとエをくっつけて、ねちゃっこく発音する」
からりとした響きの日本語に比べて、英語は、いつもチューイングガムを噛みながらしゃべってるみたいな、あいまいな口の開け方だ。日本語を話すときには使わない口の形に、唇と舌が筋肉痛になりそうになる。
「声に出してゆってみて」
「えー、恥ずかしい」
「でも見本聞かんと練習できひんやんか」
それもそうや。私が不恰好にならないよう、慎重に唇を引き伸ばして「æ」と発音すると、朱村さんが首をかしげた。
「普通のエとどう違うの?」
「æ」
恥かしさを捨てて、思いきり唇を広げて誇張すると、朱村さんも同じ唇の形になる。
「æ!」
「そう、できたやん」
「悠木さんって、ひよこみたいな唇の形してんな」
「発音してたからやろ」
「ううん、普通のときも上くちびるがとがって、ぴよぴよ言いそう」
思わず唇を触る。自分の上くちびるの形なんて、いままで考えたこともなかった。
「悠木さんはリップ何使ってるん」
私が筆箱からレモンケーキ味の小さなリップクリームを取り出すと、彼女は首を振った。
「あかん、こんなんオモチャやん。だからかさついてるねん。イズミヤの近くにシミズドラッグストアあるやろ、あそこリップ豊富やし、今日学校終わったら買いに行こ」
「やめとく。制服姿でうろついて、先生に見つかるとこわいし」
放課後生徒たちが好き勝手しないように、生活指導の先生が自転車で校区をパトロールしている。
「じゃ、家で制服を着がえてから行けばええやん」
うちはいったん帰ったら、また外に遊びに行くのは難しい。親に外出の理由を説明しないといけないからだ。
「これはどんなメロディの歌なん?」
話をそらしたくて聞くと彼女は、教える必要が無いほどこなれた発音で歌の一節を口ずさんだ。
「上手いやん! ネイティブが歌ってるみたい」
彼女はニッと唇の両端を引っ張り上げた。
「耳コピ。ここだけ、何回も聞いて練習してん。でも耳で聴いて覚えただけやし、だいぶ間違ってるやろ。だって単語の一つ一つを読むことすらできひんし。そや、サビのとこだけでいいし、カタカナでルビふってくれへん?」
「あかん、そんなことしたら自然に出来てる発音が台無しになる。このまま耳コピで全部覚えた方が綺麗に歌えるって」