「そうそう、勉強のほかにも教えてほしいことがあってさ」
頬づえをついて私の説明を聞いてた勉強のときとはうってかわって笑顔になった朱村さんは、スカートのポケットから折りたたんだ紙きれを取りだした。
「この英語の歌をカラオケで歌えるようになりたいねん」
それはレンタルのCDについてた歌詞カードを自宅のFAX機でコピーしたようなぺらぺらの感熱紙で、並んでいる細かな英字はところどころインクが剥げて見づらい。
「うまいこと教えられへんよ。先生に聞いたら?」
「英語っぽい発音になるコツだけでも教えてよ。今度の日曜パパと従業員の人たちと一緒に、もぐらのうたに行くねん。そのとき英語の歌うたえたらかっこいいやろ」
もぐらのうたは新装開店したカラオケボックスだ。カラオケは最近まで専用機器があるスナックでしかできなかったのが、徒歩圏内にカラオケ専用ボックスがいくつか出来てから身近な存在になった。もぐらのうたもそのうちの一つだ。大人しか行けない場所と思ってたけど、子どもも行けるのか。
「綸、おれの席勝手に座んなや」
袖をまくった腕が伸びてきて、朱村さんの後ろ頭を軽くはたく。私の前の席の橋本くんだ。
「将太、邪魔せんといて。悠木さんに英語教えてもらってるんやから」
「まじで?! 綸が勉強するとか、じんましん出るやろ」
「うるさいわ将太、早よサッカーやってき」
こっわと呟いたあと、橋本くんは教室のドア近くでボールを持って待っていた仲間と共に教室を飛び出した。あっけらかんとしたトゲのない雰囲気が、朱村さんと似てる気がする。
彼の後ろに座る私はある日の授業中、彼の耳たぶの裏に、薄緑色のもやもやが張り着いているのを見つけた。
へえ、人体にあんなふわふわしたカビ生えるんや。
カビだと思ったそれはよく見ると膿で、背中をシャーペンでつっつき教えてあげると、
『やっぱり! なんか痛いなと思ってたんや!』
橋本くんがティッシュで耳たぶの裏を拭きとると、耳たぶが福耳みたいに二倍の大きさに腫れあがっていた。ピアッサーで穴を開け、ピアスをつけてからずっと外さずに、寝るときも枕に押しつけてたせいで膿んだと、あとで教えてくれた。今、きれいに傷口が治った耳たぶには、黒い輪っかのピアスが揺れている。
橋本くんは他にも、春には花粉症のため箱ティッシュを教室に持ちこみ、それでも追い付かずに鼻水をたれながら授業を受けていた。私がポケットティッシュを渡すと、両穴から太い鼻水を垂らしたまま、
『ありあと。助かるわー』
私のなかの彼は、つねになんらかの液だれをしてる人だ。
「橋本くんと同じ小学校やったん?」
「そやで、なんで?」
「仲良さそうやったし」
朱村さんは女子男子関わらず打ちとけてる人が多いけど、橋本くんとはとくに親しそうに見えた。
「ああ、将太とは家が近所で親同士は私らが生まれる前から仲良かってん。幼なじみってやつかな」
「そうやったんや」