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「この英語の歌をカラオケで歌えるようになりたいねん」――綿矢りさ「激煌短命」第二回

2020/10/28
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 私が英単語にカタカナをふろうとすると、すごく怒ったメリッサの顔を思い出しながら言った。

「ふうん、分かった」

 私の熱心さに気圧されたように朱村さんは身体を引き、椅子の背にもたれた。

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「でもどうやって覚えればいいん」

「何回も聴くしかないな」

「うわ、大変やなぁ」

「カセットテープすり切れるほど聞いたら、きっとできるようになるよ。カタカナ書きこまへんようにこの歌詞カードは私があずかっておくな。テスト問題の復習に戻ろう」

 朱村さんの発音を聞いて、私は最初より教えることにやる気が出てきたけど、歌詞カードの方が目当てだったとすぐ見抜けるほど、朱村さんは分かりやすくやる気を失った。

「文法ってなんでこんなややこしいんやろ」

「初め面倒なだけで、覚えたらすぐ使えるようになるよ」

「んなわけないやん、私がこのクラスで一番英語のテストの点数悪かったのに」

 まさか、べったとは思ってなかった。

 私の表情で驚いたのがばれたのか、朱村さんはばつが悪そうにくちびるをとがらせた。

「これがばれるのがイヤやってん。うちのことほんまのアホやと思ったやろ。ほんまはもっと早く悠木さんに教えてもらいに来たかったけど、軽べつされたらどうしようと思って話しかけられへんかった」

「そうやったんや。先生に呼び出されたときの朱村さんが怒ってるぽく見えたから、私に教わるのが嫌なんかなと思ってた」

「イヤなわけないやん、私から指名したんやし。でもなぁ、先生とか先輩からならともかく、同級生から勉強習うってめっちゃ恥ずかしいで」

 朱村さんの気持ちがよく伝わってきて、思わずほほ笑んだ。私だって、いきなり先生に言われて戸惑いはあったけれど、彼女に勉強を教えること自体が嫌なわけじゃない。

「誰にでも得意不得意はあるから、気にせんでええと思うよ。ていうか次は私が朱村さんから耳コピの術を習いたいわ」

 私の言葉に朱村さんが笑顔になる。

「ええよ、いくらでも教えてあげる。コツはな、カセットデッキで聞くんやなくて、ウォークマンのイヤホンで聞いて、歌声を直接耳に送り込むこと」

 四

 四限目、全校生徒が体育館で受ける人権学習の前に、学習委員の私は一足早く体育館へ行き、二階の窓を全部開けた。二階の足場は狭く、手すりにもたれて下を見れば、バスケットゴールやみんなが座る用の長いすが見える。長いすは他の学習委員の子たちがならべていた。全校生徒分だからけっこうな量だ。開いた窓からは期待したほどの風はこなくて、館内は蒸し暑いまま。

 三限目を終えた生徒たちが続々と体育館へ入ってくる。生徒たちの履き替えた上履きが床の上で、きゅっきゅっと音を立てる。こうして上から見ていると、一年生と三年生では子どもと大人くらい体格が違う。三年生の列のなかに兄がいないかと探してみたけど見つからず、時間切れになって私は下へ降りた。