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地下鉄サリン事件「この子は大丈夫だろうと……」 教員の父が語る、死刑囚・豊田亨の“子供時代”

『私が見た21の死刑判決』より#17

2020/12/26

source : 文春新書

genre : エンタメ, 社会, 読書

 1995年3月、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。事件から2日後の3月22日に、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、やがて教団の犯した事件に関与したとされる信者が次々と逮捕された。地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及んだ。この事件で同時に起訴され、主張や弁護人の足並みの揃った実行犯である廣瀬健一と豊田亨、それに送迎車の運転手役だった杉本繁郎の3人がいっしょに並んで、同じ法廷の裁判に臨んでいた。

 その判決公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『私が見た21の死刑判決』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の1回目。後編を読む)

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バカ正直な少年

 豊田の父親は高校の教員だった。

 彼もまた、人を殺した息子のために証言台に立った。

 ──あなたは豊田被告のお父様ですね。

「はい。そうです。関西の高校で、体育の教師をしています。サッカー部の顧問を約30年間続けてきました」

 ──ご自身の性格をどう思っておられますか?

「自分では、短絡的な、いい加減な男と思ってます」

 ──あなたのお父さん、つまり被告人のおじいさんは?

「高校の生物の教師で、校長まで務めました。私は三人兄弟ですが、弟は、関西の県立大学で哲学の教師をしています。妹の夫も、高校の教頭を務めています」

 ──いわば教員一家だったわけですね。

「そうです」

 ──豊田くんは、どんなお子さんでしたか?

「気の弱い、優しい子と思いますが……」

©iStock.com

 ──おとなしい?

「真面目」

 ──正直?

「バカが付くくらい」

 ──バカ正直。

「そうです。小さい頃、みんなで遊んでいて、誰が割ったのか、ガラスを割って、みんなが逃げて、ひとり残って帰ってきて母親と謝りにいったことがあります。喧嘩もやられる方で、私がガキ大将でしたから、近くの父母同士のことで、石を投げられて頭を割って帰ってくることもありました。それも、隠す方でした。たいしたことがないと」

 ──協調性は?

「周りに合わせるほうで、自分でリーダーシップをとる方でないと思います。慎重すぎるくらい慎重でした」