「個人戦は失うものは何もないから、負けても次は頑張ろうで終わりです。でも、団体戦はみんなで1つの目標に向かって頑張るから責任があって重いです。当然、普段から頑張らないといけません。自分でも、もうプロを目指すわけではないのに、なぜこんなに必死に将棋をやっているのだろうと思います」(藤岡さん)
得られるのは名誉だけでも、団体戦に熱くなる
多くの大学将棋部員が同じように、団体戦で勝つことを目指して将棋に取り組んでいる。
「学校の名前を背負って箱根駅伝みたいですね」と言うと、藤岡さんは首を振った。
「いや、箱根駅伝は、いい走りをすると実業団にスカウトされるとか先があるでしょう。大学将棋は違います。将棋のプロになることはない。王座戦は賞金や豪華賞品が出るわけでもない。得られるのは名誉だけなんです。それでもみんな、団体戦に熱くなります」
2019年も東大将棋部には天野倉優臣さんをはじめ実績のある1年生が多く入り、レギュラー争いはさらにハイレベルになった。
子どもながら実力と奨励会の苦しさを考えた
天野倉さんは藤岡さん、伊藤さんと同じように小学生の全国大会に茨城県代表として出場した経験がある。プロ棋士になりたいと考えたのも同じで、小5で関東研修会にD2で入会した。周囲には奨励会志望者が多く、先に入会していく者もいた。天野倉さんは、子どもながら冷静に自分の実力と奨励会の苦しさを考えていく。
「早めに研修会Bクラスに上がれば奨励会を受験したかもしれません。でも、思うように昇級できず中1でCクラスでした。また、奨励会は厳しい場所というのも分かるようになって、入ったら将棋が嫌いになってしまう気がしました。プロを目指すよりアマでいようと考え、中1の終わりにC1クラスで研修会を退会しました。奨励会に入った仲間と今も付き合いがありますが、苦しそうだなと思うことも多いです。自分はマイペースで奨励会は向いていなかったし、アマでいて良かったのだと思います」
研修会を退会しても、天野倉さんの将棋に打ち込む姿勢は変わらなかった。中学生、高校生の全国大会では少しずつ成績を上げ、高校全国大会では3位に2回入った。
学業成績も優秀で、東大も視野に入っていた天野倉さんが「東大将棋部に入りたい」と強く思ったきっかけは、高2のとき藤井聡太二冠と朝日杯将棋オープン戦で対戦した藤岡さんがテレビで紹介されたことだった。学生名人の藤岡さんのような活躍がしたいと、モチベーションが上がった。入学して藤岡さんと同じ1年生での学生名人と学生王将の二冠に輝き「藤岡二世じゃん」と先輩たちが喜んでくれたときは、目標を1つ達成できたと思った。