昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集観る将棋、読む将棋

2020/12/22

「将棋倶楽部24」でネット対局

 伊藤さんは本郷キャンパスの近くのアパートで一人暮らしを始めていた。授業はオンラインで将棋部の活動もできないなら、実家に帰りたい。しかし、東京から地方に若者が移動することによって感染者が増えるという不安が広がった。帰省しないほうがいいと言われる大学生はたくさんいて、伊藤さんもその1人だった。

「人と会う機会がなくなり、1人で寂しかったです。ネット将棋は指せるので、部員同士(ネット対局ができる)将棋倶楽部24で指して、その画面を指してない数人でZoom共有して検討していました。それで寂しさが紛れました」(伊藤さん)

 部員にはもともと24で対局する者が多い。毎週土曜日に部室で行っていた研究会も、24ですることになった。東大将棋部のTwitterで新入生をネット活動に勧誘した。1年生数人から参加希望の連絡も来て、対局するようになった。

相手は東大の先輩でもある谷合廣紀四段

 2000年7月30日、天野倉さんは滅多に着ることのないスーツを着て、東京・将棋会館に向かった。朝日杯将棋オープン戦一次予選、相手は東京大学の先輩でもある谷合廣紀四段だ。谷合四段も奨励会三段だった学部生時代は、アマチュア大会には出られないものの、将棋部の活動に参加していた。

天野倉優臣さん

 天野倉さんが入学したときには谷合四段はすでに大学院に進んでいて面識はなかったが、伊藤さんは一度だけ、部室に顔を出してくれた当時奨励会三段だった谷合四段と指したことがある。東大大学院でAI研究の成果を上げ、プロ棋士にもなった谷合四段のように、学業と奨励会を両立する選択肢は考えなかったのか聞くと「谷合四段だからできるのであって自分には無理。あのレベルで両立していて素直に尊敬しています」(伊藤さん)。

 天野倉さんは1年生だった2019年に学生名人となって、その年の朝日杯に出場し、黒田尭之四段と対戦していた。藤岡隼太さんが朝日杯に出るときは、先輩たちはアドバイスをたくさんくれたけれど、天野倉さんのときは違った。伊藤さんいわく「天野倉の序盤研究は東大でもトップで、僕より数段上。何も言うことはない」からだ。

 朝日杯経験者の藤岡さんからは「めちゃくちゃ緊張する」というアドバイスだけ。

「黒田-天野倉戦が決まってから、黒田さんからも連絡がありました。でも、僕はどっちの味方もできないので……」(藤岡さん)

藤岡隼太さん

 天野倉さんは黒田四段の棋譜を集め、できる限りの研究をして対局に臨んだが、「黒田四段が先手で6八玉とまったく予想外の手を指され、初手から研究を外されて無駄になってしまいました。それだけでなく、黒田四段は強く完敗でした」。

「めちゃくちゃ緊張」は藤岡さんに言われた通りで、最初に駒を並べるとき、金がいるべき6九の位置に銀を置いてしまい、慌てて置き直した。慣れない正座にも苦労した。

「途中足がしびれてしまって立てそうもなく、お手洗いを我慢しました(笑)」