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「羽生世代というか、羽生さんが…」10歳からの好敵手が秘める天才・羽生善治への本当の思い

『証言 羽生世代』より #2

2021/01/07
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羽生さんを追いかけると同時に残った仲間たちにも勝っていかないといけない

子ども大会で周囲を圧倒していた二人が棋士を目指すのは自然な流れだった。

──奨励会試験は一次試験が受験者同士の対戦です。後に羽生世代と言われる棋士と対局しましたか?

森内 一次試験は4勝2敗で通過しましたが、2勝1敗で迎えた4局目に郷田さんと対戦して、苦しい将棋をなんとか勝てました。それで3勝1敗になり、次に負けて、生き残りを懸けた最終戦に臨みました。

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──勝ち越さなければ不合格ですもんね。最終戦も羽生世代の棋士と対戦したのですか?

森内 いいえ。将棋連盟の「土曜教室」で一緒だった中学生の先輩で、向こうは負けたらプロを諦める雰囲気だったんです。子ども心に非常にやりにくかったのを覚えています。

──結果的に森内さんが勝って二次試験進出を決めましたが、相手を斬ることでしか生き残れないという勝負師の悲哀にいきなり直面したのですね。

森内 そうですね。始まってしまえば余計なことは考えませんでしたが。二次試験は現役の奨励会員と3局指して勝ち越さなければいけないので厳しかったです。初戦でいきなり負けてしまいましたが、林葉直子さんと中座真さんに連勝して合格できました。

──奨励会入会後は羽生さんの昇級ペースがいちばん速かったわけですが、森内さんは羽生さんと何局対戦していますか?

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森内 2局指しています。6級か5級の時に一回当たって負けました。その後は羽生さんがどんどん上がってしまったのでなかなか指す機会がありませんでした。かなり後に彼が三段で私が初段の時に香落ちで対戦した記憶があります。それも負けましたね。アマ時代から彼のほうが少し強かったですし、奨励会入会後も彼のほうがレベルが高いということははっきりと自覚していました。プロの卵ですから、そのあたりはシビアに見ていました。

──森内さんは奨励会ではどういう目標を立てていたのですか?

森内 小6で入会したのですが、3年で抜ける、つまり「中学生棋士」になることが目標でした。羽生さんはそれをきっちり達成されたのですが、私は中3の時に初段か二段ぐらいだったので差をつけられてしまいました。焦りもありましたけど、羽生さんが抜けた後も、佐藤康光さんや郷田さんが同じような位置にいました。羽生さんを追いかけると同時に残った仲間たちにも勝っていかないといけないので、競争は本当に厳しかったです。

伝説の研究会への参加

──「島研」についても聞かせてください。島さんに訊いたのですが、いちばん最初は森内さんに来てもらって、そこから発展したのだけれど、森内さんとどういうきっかけで出会ったのか覚えていないということでした。

森内 顔見知りになったきっかけは私もあいまいですが、島研の前に別の研究会に呼んでもらったことは覚えています。小林宏さんと富岡英作さんと島さんとの研究会でした。

──当時、森内さんは奨励会の級位者ですか?

森内 初段ぐらいでしたね。その日はリーグ戦で一局ずつ教えていただいて、2勝1敗で私は同率優勝ということにさせてもらいました。それからしばらくして島さんから電話がかかってきて、「研究会をやりませんか」と誘われたので、もしかしたらそれが試験だったのかな、と。島さんに聞いたことがないのでわかりませんけれども。

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