私たちは甲斐メモを基に九研の元所員らに次々当たっていった。そして、九研第二課(毒物専門)の元将校で青酸ニトリルの開発者の薬剤師に面会した。彼は「事件を知ったとき、九研関係者がやったのかもしれないと思った」と語った。
彼によれば、青酸ニトリルの効果が表れるのは普通飲んでから約1分後。そうしたデータは、中国での中国人捕虜を使った人体実験で得たという。だが、薬剤師は「終戦時、青酸ニトリルは全く残っていなかった」とも断言した。
アメリカ軍の軍属を探して…
甲斐メモに記されていたのは、毒物だけに留まらない。
帝銀事件の犯人は、「近くの相田という家で集団赤痢が発生。消毒に来る前に予防薬を」と言って行員らに毒物を飲ませた。実際に帝銀椎名町支店近くには相田小太郎という家があり、発疹チフスが発生して事件当日、進駐軍のジープが査察に来ていた。
一審判決は、国鉄(当時)池袋駅から現場に向かった平沢元死刑囚が、途中で「相田」という表札を見て「この家を患者が発生した家に仕立てることとし」と認定したが、そんな偶然があるだろうか。
捜査員はその点も捜査していたことが甲斐メモに記されていた。ジープで相田方を訪れたのはアメリカ第8軍公衆衛生課のアレンという軍属と通訳、そして東京都の嘱託医だった。私たちは甲斐メモに書かれていた東京都民政局防疫課、豊島区衛生課防疫係の職員とアメリカ軍の日本人通訳に取材した。
その結果、1人の通訳とクリスマスカードをやりとりしていたことから、アレン元軍属の現住所が判明。共同通信ワシントン支局員の電話取材に、かつてギャング映画で活躍したジェームズ・キャグニーに似ているといわれた元軍属は「あのころは連日伝染病が発生していた。いつどこへ査察に行くかは、都からの連絡を受け、状況に応じて自分が判断していた」と語った。「日本の警察の事情聴取を受けたことは一度もない」とも語り、この線もここで絶えた。