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届かなかった真相

 3カ月余りののち、平沢元死刑囚の保釈の可能性はないとの結論が出て、洗い直し取材は終わった。後で愕然としたのは、その時点で取材結果は1行も記事にしなかったこと。それから7年。平沢元死刑囚の死亡時に甲斐メモについて生ニュースにし、取材の骨子部分を5回続きの企画にした程度だった。

 死亡直後には、「平沢貞通氏を救う会」の元メンバーや、事件に関心を持って「小説帝銀事件」を書いた作家・松本清張氏らが「真犯人」と名指しした「S」という元陸軍軍医の足跡を追った。

 七三一部隊にも関係し、薬物中毒で「事件をやりかねない男」とされていた。同姓同名の人物が実在したが、事件の約1年後に病死していた。炭鉱のボタ山が残る福岡県の街で親族に会い、写真も見せてもらったが、七三一部隊とは無関係で、帝銀事件犯人の似顔絵とは似ても似つかなかった。最終的に私は、Sが実際にいたとしても、それは実在の人物の名前と経歴を偽った別人と推理した。

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 いろいろな理由はあったが、結果的に私たちの取材は全く真相に近付けなかった。振り返って忸怩たる思いだ。

帝銀事件には15人の犠牲者がいる

 その後も事件との関わりは続いた。平沢元死刑囚の養子になって再審請求を引き継いだ武彦氏とはいろいろな機会で付き合いがあった。事件半世紀の1998年、私は小さなテレビ局に出向していたが、ディレクターまがいに彼を事件現場に引っ張り出し、15分のドキュメンタリー番組を作った。

共同通信の企画記事に取り上げられた平沢武彦氏(信濃毎日新聞)

 最期は孤独死だったが、その1年余り前から時折、夜遅く電話がかかって、事件に関することを延々と話した。それほど重大とは思えないことばかり。電話を切った後、暗然とするのが常だった。

 中村尚樹「占領は終わっていない」は帝銀事件には15人の犠牲者がいると指摘する。毒殺された行員ら12人に加えて「濡れ衣を着せられた平沢貞通」。そして14人目と15人目は「『平沢貞通氏を救う会』の事務局長を引き受けた作家、森川哲郎とその長男であり、平沢の養子となった平沢武彦である」。私も同じような感慨を持つ。