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甲斐メモ、その衝撃の内容

 チームも3つに分けられ、私は同僚記者と2~3人で甲斐メモを基に取材を進めた。甲斐メモを読んで衝撃を受けたのは、帝銀事件の捜査本部が当初から日本軍の特殊謀略部隊に目をつけ、関係者から聴取を続けていたことだった。

 細菌戦部隊である七三一部隊については、取材当時でさえ、元少年部隊員の手記と、TBS記者・吉永春子さんの一連のルポぐらいしか一般には知られていなかった(書籍がベストセラーになり「七三一」が周知されるきっかけとなった作家・森村誠一氏の長編ドキュメント「悪魔の飽食」の新聞連載は翌年1981年7月から)。

「捜査手記」(甲斐メモ)=共同通信の企画記事から(信濃毎日新聞)

 捜査員は人から人へ探し歩き、事件から約80日後の4月15日、刑事2人が「(元)七三一部隊(長)石井四郎(元軍医中将)に会って(部隊の各)部長の名前をとった(聞いた)」(甲斐メモの記述)。

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 同月27日には別の刑事2人が石井と再度面会。このとき石井は「俺の部下に(犯人が)いるような気がする。君らが行っても言わぬだろう。一々俺のところに聞きに来る。15年、20年、俺の力で軍の機密は厳格であるので、なかなか本当のことは言わぬだろう」「いつでも俺のところへ来い」と語っている。

 私も甲斐メモに登場した元七三一部隊員に話を聞きに行った。公務員をリタイアしたその男性は長身で丸坊主。事件当時、捜査員の訪問を受けたことは認めたが、それ以上は全く語らず、収穫はなかった。何より、全身から漂う妖気のようなものが印象的だった。

特殊部隊、特殊機関…「毒物の謎」

 帝銀事件の最大の謎が凶器の毒物であることは衆目の一致するところだが、一審判決は「そのころ持っていた青酸カリ」としか認定していない。

 一方、実際に効果が現れるまでの時間経過から、犯行に使われたのは即効性の青酸カリではなく、遅効性の毒物だとする見方が事件当初からあった。

 甲斐メモによれば、捜査員は七三一部隊をはじめ、旧軍の特殊部隊や特殊機関を当たるうち、ある新しい毒物にぶつかっていた。それは“絶対秘密の研究所”とされていた旧第九陸軍技術研究所(九研、通称・登戸研究所)が開発した青酸ニトリル(別名アセトン・シアン・ヒドリン)だった。