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連載昭和事件史

2021/01/17

平沢元死刑囚が“巻き込まれた”ワケは?

 そのうえで私なりにまとめてみる。平沢貞通・元死刑囚が「シロかクロか」と聞かれれば「70~80%シロ」と答える。奇矯な言動など、不審な点はあるが、決定的なのは、毒物の入手と使用の点だろう。犯行手口の緻密さから「とても平沢ではできない」という思いは根強い。歴代法相が執行命令書にサインしなかったのも、そうした単純な疑問からだろう。

©共同通信社

 そんな平沢元死刑囚がどうして事件に“巻き込まれ”そこから逃れられないまま、死刑囚として獄中死しなければならなかったのか、挙げてみよう。

1、平沢元死刑囚個人の問題
 コルサコフ症候群の後遺症も加わった大言壮語、作り話など、奇矯な言動。芸術家特有の非倫理性。放縦な私生活

2、裁判が旧刑事訴訟法で審理されたこと
 新憲法に基づく新刑事訴訟法の施行は事件後の1949年1月1日。自白偏重で物的証拠の価値が低く、凶器である毒物についての立証が軽視された

3、検察・警察の捜査能力の低下
 人的・物的に戦争による荒廃、欠落が大きかった

4、メディアの劣化
「権力のチェック」は程遠く、事件をセンセーショナルに報道。「平沢クロ」説をあおった

5、支援するはずの家族関係が平穏でなかった
 平沢元死刑囚には愛人がおり、妻や子どもたち親族との関係が複雑だった

6、弁護団、支援団体に一貫性が欠けていた
 支援団体メンバーに“出入り”が激しいなど弁護団に問題が多く、弁護方針にも一貫性が乏しかった。

 理由はほかにもあるだろう。わずかな疑問を持ちながらも、最も大きかったのは「運が悪かった」ことだとしか思えない。

カギは「毒物」

 私は現在も続いている再審請求を支持するが、その見通しには悲観的にならざるを得ない。目撃証言や自供の信ぴょう性など、主張はいくつもあり、それぞれ取り組む価値はあるが、再審が認められる決定的な新証拠にはならない。

88歳を迎えた平沢元死刑囚が獄中で描いた自画像(「平沢貞通 祈りの画集」より)

 最近の再審請求では、GHQの圧力によって旧陸軍特殊部隊の追及から捜査方針が転換させられたと主張している。確かにGHQは石井・元隊長らを「保護」し、警視庁の追及を阻止しただろう。だが、それは七三一部隊の研究成果を将来予想される戦争に活用するためで、それだけでは再審請求の証拠にならない。

 私見だが、やはりカギは毒物だ。元TBS記者・吉永春子さんは著書「謎の毒物」で、犯行に使われたのは単純な青酸化合物ではなく、青酸配糖体と酵素という2つの物質が混合して青酸化合物の効力を発揮したと問題提起した。現在の第20次再審請求に当たっては、それに関する研究も進んでいる。もし、毒物の点ではっきりした成果が表れなければ、事件は本当の20世紀の謎の事件として実質的に幕を閉じる可能性が強いのではないだろうか。

【参考文献】

▽共同通信社社史刊行委員会「共同通信社三十五年」 共同通信社 1981年
▽森川哲郎「獄中一万日 追跡帝銀事件」 図書出版社 1977年
▽佐々木嘉信著・産経新聞社編「刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史」 新潮文庫 2004年
▽野村二郎「日本の裁判史を読む事典」 自由国民社 2004年
▽中村尚樹「占領は終わっていない」 緑風出版 2017年
▽吉永春子「謎の毒物」 講談社 1996年

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