文春オンライン

「残業代を付けてほしい…」ブラック化が叫ばれる“教育業界”に自ら進んだ若手教員の本音

『教員という仕事 なぜ「ブラック化」したのか』より #1

2021/02/08

初任校は特別支援学校

 新採用の赴任先は原則として3月中旬に教育委員会から通知される。高藤さんは自宅から少し遠い場所にある肢体不自由児・生徒のための県立特別支援学校小学部に赴任する。大学の教職科目の一つとして特別支援は学んだが、身近に障がいを持った人はおらず、ほとんど基礎知識がないために実態がわからず、事前に不安はあまり感じなかった。

「とりあえずおむつを替えてください」

 新年度から勤務する学校を初めて訪れた時、彼は「何をすればいいですか?」と学年主任に尋ねた。すると、「とりあえずおむつを替えてください」と言われ、非常に困惑する。弟が幼い頃にもおむつを替えた経験はないし、教職課程に含まれるため大学で実習先として行った障がい者施設等でもおむつ替えはやっていない。この時、「今度働く学校は大変なところかもしれない」と実感したという。

©iStock.com

 彼が赴任した県立特別支援学校は小学部・中学部・高等部があり、2019年度は全生徒数131名、内64名が小学部に所属する。特別支援学校の場合は教職員が通常学校より多く配置されるので、教員等109名、事務行政職員10名が勤務している。

ADVERTISEMENT

 小学部は子どもの障がいの症状により10クラスに分かれており、各クラス5人の教員が集団で指導にあたっていた。高藤さんのグループは50代のベテラン男性教員、私生活でも障がいを持った子どもを育てている40代女性教員、30代の男性教員、20代の女性教員で、ほぼ1年そこで過ごした今、「何か家族や親戚のような構成で、とてもチームワークがいいです」と彼は言う。

 だが、仕事自体は想像以上に厳しかった。自分の意志通りに身体を動かせない児童への対応は、経験を積んだ先輩教員と高藤さんとでは歴然とした差がある。塾講師として培ってきた授業研究のスキルを使う機会もなく自信を失い、「この仕事をやっていけるか」と毎日考えていた。教えていた塾から「うちの会社にそのまま就職しないか」と誘われた言葉が頭によぎった日もあった。

 その彼が、「この仕事で頑張ろう」と思った出来事がある。彼の受け持つクラスに小学4年生の女子がいた。彼女は簡単な手術のために9月に入院することになった。高藤さんは「手術を頑張って学校に戻ってきたら、聞かせてやるからな」と彼女と約束して、ギターの練習を始める。特別支援学校では子どもたちと一緒に活動するためにギターなどの楽器を弾く教員が多い。高藤さんもそうなりたいと考えたのだ。