語り始める中川
それからしばらくは、淡々と裁判が進んでいた。相変わらず、事件については何も語ることがなかった。
そうして、初公判から4年、滝本証言から約2年の歳月が過ぎた時だった。
この頃になると、地下鉄サリン事件や坂本事件の実行犯に、相次いで死刑が求刑されるようになった。中川にとっての“法友”の死が現実のものとなって迫ってきていた。
延々と続いていた中川の裁判も、検察側立証が終了し、弁護側の立証に入った。
すると、その日を境に、弁護人の質問に答えて、それまで口を割らなかった事件についての真相を、中川が語りはじめたのだった。
「どうせ死刑だとあって、なげやりになっていたはずのあなたが、どうしていまここで事実関係を話そうというつもりになったのですか」
弁護人がそう尋ねると、中川は「とりとめもない話です」と前置きしてから、こう語りはじめたのだった。
「ひとつには、いまでも死刑になると思っているし、それは変わりありません。そういう意味の責任から逃れる気もありません。──責任という言葉を使ってしまいましたが、それで責任がとれるとも思ってません。私が死刑になった、だからといって何か変わるかといったら、何も変わらない。御遺族、被害者、何も変わらない。関係のないところで、私が死んでいくだけのことです。プラスになることでもなければ、私が死んでも、償いになることでないことが、少しずつわかってきた。やはり大きな事件だったんだなと、徐々にわかってきたんです。世界の歴史に残る汚点となることをしたんだなと、わかってきた……」