刺青の女の首から吹き出す血
そんな折──6月10日の夜10時ごろ、関東松田組本部へ約束もなしに訪ねてきた男がいた。
松田のかつての舎弟で、野寺という男だった。松田に破門された身である。
「親父に会いたい」
応対に出た手伝いの女が気をきかして、
「出かけています」
と答えた。どう見ても歓迎すべき客とは思えなかったからだ。
「話がある。呼んできてくれ」
元舎弟は、松田の在宅を知っていたのだ。
この夜、松田は麻布のプレス・ネストで、ベリガンと会う約束をしており、その仕度にとりかかっている最中だった。
訪問客が破門した野寺と知り、松田は、
「用件はなんだ?」
と着流し姿で応対に出た。
それから20分くらい二人は話しあった。破門を解いてくれという話だったとも、中国人の意を受けたマーケットの一件であったともいわれるが、その内容は不明である。ときおり意見がぶつかるのか、次第に二人の声が高くなったという。
やがて野寺は、「帰るぜ」と席を立った。
振り向きざまに放たれた弾丸
送って出ようとして、松田がドアのほうへ一歩足を踏みだしたとき、惨劇は起きた。
「バーン!」という銃声が事務所内に轟いた。野寺が隠し持っていた拳銃を取りだすや、振り向きざまにぶっ放したのだ。
銃弾は間違いなく松田をとらえた。それでも松田はひるまず、「待て!」と追おうとして、5、6歩狙撃者に迫ったところで、力つきてよろけた。
そこを野寺はさらに2発見舞った。3発目がまともに松田の心臓をぶち抜いた。
銃声に驚いた妻の芳子が、短銃片手に駆けつけたときにはもう遅かった。松田は血の海に沈んでいたのである。
松田の胸に彫られた女の刺青が、芳子の目にひときわ鮮やかに映えた。
そして、その匕首をくわえたザンバラ髪の女の首すじあたりから、血が脈を打って吹き出していた。
死線をさまよいながら、松田は辞世をこう詠んだという。
「松虫よ 美人の袖に落ちて死ね」
かくて“カッパの松”の異名をとった神農界の旋風児は、36年の波瀾の生涯を閉じたのである。
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