米長道場のチラシに「パンツは何でもいい」
藤井 米長先生(邦雄永世棋聖)が当時バリバリのA級棋士で、今でいうと佐藤(康光)会長みたいな感じかな。自分の家の隣の空き家を買いとって、そこを開放して、棋士、女流棋士、奨励会員、誰でも来て将棋指していいと。チラシを配って、来るものは拒まずみたいに。
行方 奨励会の例会のときにチラシをもらいました。
藤井 俺なんか米長先生の記録をとったときに「君もよかったら」って、渡されたんだから。僕は三段だったんだけど、「ぜひ参加させていただきます」と。読むといろいろ書いてあって、「靴下だけは履き替えてこい。ただしパンツは何でもいい」とか(笑)。ありがたい話でした。当時はホープ研(藤井が中心の研究会)ばかりで、棋士と指す機会なんて、まずなかったから。
行方 なかった。藤井さんは三段だからわからないけど、僕はまだ1級とかだから、棋士と指すことはなかったです。
「棋士」はありがた過ぎて半年くらい行けなかった
藤井 僕は他の研究会もやっていたけど、棋士は入ってなかった。米長道場が開かれたのは平成2年。僕が四段になったのが翌年だから、開かれたのは約1年間だったと思う。多いときは数十人が集まっていた。
行方 日曜日にはトーナメントもやっていましたよね。
藤井 常連とたまに来る人とに分かれていた。
行方 僕は最初、ありがた過ぎる話だから疑っちゃって、半年くらいは行かなかったんですよ。
藤井 えっ、そうだったの?
行方 奨励会の例会のときにチラシ配られたけど、半年くらいは……。その後に藤井さんから聞いて良さそうな雰囲気だったので。
藤井 俺だってそんなに積極的な人間じゃないから、一人で行くとは思えない。誰かと一緒に行ったはずだけど、なめちゃんとじゃなかったのか?
行方 一応、僕は大山門下なので(笑)。先生がご健在だったので、気を遣うかなと。
藤井 大山門下だから、米長先生はなめちゃんと仲良くしたかったはずだよ。
行方 ハハハ、結局行ったらものすごく良くしていただきました。
藤井 大山先生が一度いらしたときがあった。「弟子がお世話になっています」と言って。そのシーンはよく覚えている。