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快進撃・小山怜央アマの“竜王戦ドリーム” 将棋のプロとアマの実力差は、なぜ縮まったのか

竜王戦6組ランキング戦決勝進出をかけて、長谷部浩平四段と対局する

2021/04/27

 一人のアマチュアが竜王戦ドリームをひた走っている。4月28日に行われる竜王戦6組ランキング戦準決勝、長谷部浩平四段-小山怜央アマ戦。ここまで快進撃を続けている小山さんが本局を勝つとランキング戦決勝進出と同時に5組昇級が決まるが、これはアマチュアとして史上初の快挙になる。

4連勝で竜王戦6組ランキング戦準決勝に進出した小山怜央アマ ©相崎修司

 かつては「プロとアマの差が最も大きい競技の一つが将棋である」と言われていたこともあるが、小山さんの快進撃は、その実力差が縮まったことを示す一つの例だろう。改めてアマプロ戦の歴史を振り返ってみたい。

プロ棋士に3連勝する猛者も──将棋アマプロ戦の歴史

 江戸時代は将棋にも家元制度があった。家元の御三家(大橋本家・大橋分家・伊藤家)に属する棋士がプロ、属さない在野の棋士がアマだったという区別はできなくもないだろうが、彼らが名乗る段位はいずれも家元による認定だったため、現在と異なり段位としてアマとプロの区別はなかったといえる。

 現在のようにプロとアマの区別が明確になった時期は断定しにくいが、現在の日本将棋連盟に至る組織が創立されたのは1924年9月8日であるため、ここを一つの起点として考えたい。

 日本将棋連盟創立以降のアマプロ戦で、まず思い浮かぶのは1944年に行われた花村元司九段のプロ試験だろうか。当時「東海の鬼」という異名で知られていた花村は「真剣師」を生業としていた。いわゆる賭け将棋である。試験の1年前には当時六段の升田幸三と互角の勝負を演じ(駒落ちも含まれてはいたが)、その実力を評価した後援者や花村の師匠となる木村義雄十四世名人に後押しされ、プロ試験が実現した。

 試験の結果は、当時の若手棋士と6局戦って、4勝2敗。見事に五段として認定された。その後の花村は九段まで昇段し、名人戦にも登場している。森下卓九段、深浦康市九段ら多くの弟子を育てたことでも知られている。

 花村のプロ試験後は一部の公式戦でアマプロ戦が行われることもあったが、しばらく注目される対局はなかった。ただ、日本将棋連盟の公式戦ではないが、将棋雑誌などが主催する「お好み対局」ではしばしばアマプロ戦が行われていた。その中では「新宿の殺し屋」というあだ名がついた真剣師・小池重明氏の活躍が有名である。森雞二九段を相手に角落ち、香落ち、平手で3連勝した。当時の森九段はタイトルを直後に獲得するバリバリの気鋭であり、この結果が日本将棋連盟に与えた衝撃は小さくなく、当時会長を務めていた大山康晴十五世名人(自身も1年前に角落ちで小池に敗れている)は森に罰金を支払わせたという。