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「日本のネット広告の父」がまとめた“奇跡の買収”…ジェフ・ベゾスとリクルート、1987年の“伝説の交渉”とは

『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』より #1

2021/04/09

計画的にファイテルを選んでいたベゾス

 ベゾスは名門プリンストン大学で電気工学と計算機科学を専攻し、米国の成績評価であるGPAで4.2ポイント(通常は4.0ポイントが最高値)という極めて優秀な成績で卒業した。コンサル大手のアーサー・アンダーセン(現・アクセンチュア)、インテル、通信大手AT&Tなど錚々たる企業から就職の誘いがあったが、ベゾスが選んだのは、無名のベンチャー企業、ファイテルだった。1994年にアマゾン・ドット・コムを立ち上げるまでのベゾスの足跡をたどると、ベゾスが極めて計画的にファイテルを選んでいたことが分かる。

 ファイテルで「株取引のオンライン決済」を学んだベゾスが次に選んだ会社は大銀行のバンカース・トラスト(現・ドイツ銀行)だ。ここでもオンライン・システムの開発に従事した。その優秀さは群を抜いており、26歳の若さで副社長に抜擢された。だがベゾスはこの大銀行にも安住しない。このころ出会ったコロンビア大学コンピューター学科助教授のデビッド・ショーの誘いを受け、彼が立ち上げたヘッジファンドに移籍する。

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 ショーもチチルニスキーに負けず劣らずの天才だった。チチルニスキーが株の国際取引をオンライン化したのに対し、ショーは為替の裁定取引(アービトラージ)をオンライン化した。ショーはコンピューターで裁定取引をする異色のヘッジファンド、「D・E・ショー」を立ち上げ、ベゾスを引き抜いて上級副社長に据え、コンピューター・ネットワークの開発を任せた。

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 ベゾスがファイテル、D・E・ショーというベンチャーでチチルニスキーやデビッド・ショーといった天才たちの下で働いたのは、けっして偶然ではない。プリンストン大学の在学中から「いずれはコンピューターを使ったビジネスで起業する」と決めていたベゾスは、そのために必要な経験を着々と積み上げていた。将来の自分に必要な人脈とスキルを冷静に選んでいたのだ。

 D・E・ショーで働いているとき、ベゾスはあらゆるものをオンラインで売る「エブリシング・ストア」を構想する。いきなり「あらゆるもの」を売るのはリスクが大きすぎるので、株や通貨と同じように品質にバラつきがなく、実物を手に取らなくても消費者が安心して買える本(書籍)から始めた。ベゾスがシアトルのガレージでアマゾン・ドット・コムを立ち上げたのは1994年のことである。