静岡県の大井川鐵道には、全国からSLファンや観光客が集まる。

 大井川鐵道本線は水力発電所が近いこともあり、戦後すぐの1949(昭和24)年には全線電化されていた。電化された路線にわざわざ蒸気機関車を復活させた人物は、名古屋鉄道の技術者、白井昭氏だ。名鉄では日本初の展望電車「パノラマカー」開発計画に携わり、1969年に経営難の大井川鐵道に移籍して、存続のため経営再建に取り組んだ。白井氏は貨物輸送が落ち込んだ大井川鐵道を観光鉄道として再生させようと決断する。

 現在、大井川鐵道では小型機のC11形が2台、小型機のC10形が1台、中型機のC56形が1台。合計4機の蒸気機関車が稼働し、交代で任務に就いている。

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家山駅付近は桜とSLを撮れる名所

「SLの老舗」の危機

 しかし、「SLの大井川鐵道」には何度か危機が訪れている。大井川鐵道の人気にあやかるように、各地でSL観光列車が運行され、ライバルが増えてきたからだ。

 まず1979年には国鉄が山口線で「SLやまぐち号」の運行を開始した。京阪神のSLファンは山口へ行ってしまう。そして、1990年ごろから関東でもSL観光列車が増えた。1988年の秩父鉄道「SLパレオエクスプレス」、1989年のJR東日本「SLみなかみ」ほか高崎エリア、1994年の真岡鐵道「SLもおか」、1999年のJR東日本「SLばんえつ物語」などだ。

 これらのSL観光列車の運行は、主に週末や長期休暇期間が多い。大井川鐵道はほぼ毎日運行しているとはいえ、集客の大多数は週末である。いままでは「SL列車に乗るなら大井川鐵道」だったけれども、首都圏の観光客には「もっと近いところにSL列車がある」となった。しかも客車は比較的新しく冷房もあり快適だ。JR東日本は上越新幹線と組み合わせたパッケージ商品を用意し、乗りもの好きの子どもたちを取り込んで一人勝ち状態になった。旧型客車の運行もあって、昭和懐かし組の年配者も取り込んだ。

旧型客車の存在が昭和の風景を再現する 

 大井川鐵道からSL観光客がじわじわと減る中で、新たな打撃が加わった。ツアーバス規制だ。関越自動車道での高速バス事故(2012年)を受けて、国土交通省は緊急対策として、「原則として実車(走行)距離が400kmを越える場合」または「1人の運転者の乗務時間が10時間を越える場合」は、運転手を2名乗務させるよう通達した。これはその後、500km、9時間にあらためられた。

 東京都心から大井川鐵道新金谷駅までの道のりは、高速道路利用で約220kmだ。往復で440km以上となり500km上限ギリギリになってしまう。乗務時間9時間も渋滞を考慮すると余裕がない。運転手2名乗務となれば人件費が倍になり、ツアー料金が高くなる。バス会社にとっても大井川鐵道へ運転手2名を割り当てるより、もっと近い目的地へ1名ずつ割り当てれば2本のツアーを組める。果たして、バス会社にとって、大井川鐵道日帰りは不人気となってしまった。秩父や真岡、高崎など、片道200km以内の場所にもSLはあったからだ。

新金谷駅は映画のロケ地としてたびたび「出演」している