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「打倒共産党!」の声に大量の銃弾

 諸資料によれば、当初は部隊側も発砲をためらい、退去勧告や威嚇射撃を繰り返したという。だが、やがて党中央の命令通りに天安門広場に向かうため、指揮官は武力行使を決定した。一人を殺害すると、その後の実弾掃射は雪崩式に拡大していった。

「兵士が同じ中国人をバンバン撃ち殺している光景を見て、あたりが見えなくなるほど滅茶苦茶に腹が立ったさ」

 そんな光景を張宝成も見た。さすがに声をひそめて続ける。

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「だが、兵士どもに怒鳴り声を上げて、もっと前に出ていこうとしたところで妹に止められた。親を残して先に死んじゃいけねえってな。あのとき妹がいなきゃ、俺も『暴徒』の一人として軍隊に撃ち殺されていただろうよ」

 惨劇を前に張は我を忘れ、姉妹たちは泣き出した。そんな彼らにも銃口が向けられ、慌てて路上に伏せた。ついにそれまでのデモでは聞かれなかった「打倒共産党!」を叫ぶ声がどこかで上がったが、すぐさま大量の銃弾を撃ち込まれて沈黙した。

「俺は生きていたのか」

 周囲の人間がバタバタと倒れるなか、彼は水平射撃の弾幕のなかを姉妹を連れて逃げ回り、ついに近所のビルに駆け込んだ。やっと一息をつき、ビルの5階から路上の惨劇を眺めた。もっとも高層階にも銃弾は飛んでくるし、実際に階上の住民が死亡した事例も後に確認されている。見ているだけでも危険な代物だった。

写真はイメージです ©iStock.com

 やがて戒厳部隊は路上の「暴徒」と障害物を排除すると、広場を目指して進んでいった。深夜1時を回るころには状況が落ち着き、張と姉妹は徒歩で2時間を掛けて家路をたどった。

 その夜は少し眠ったが、神経が昂ぶっているためかすぐに目が覚めた。

「俺は生きていたのか」

 やがて外に買い物に出ると、パニックを起こした市民の買い占めによって店先から商品が消えていた。近所を歩いたところ、自宅にほど近い五棵松の十字路で肉味噌のようにすり潰された人間の死体を見つけた。戦車に轢かれたようだった。

 ――これが、張宝成が経験した八九六四だった。

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