思い詰めてしまった大学院時代
「大学院に進学した時、試験の点数が足りずにそれまで所属していた研究室から外されてしまった。学部生の頃は好きな分野の研究だったから身が入ったんですが、大学院では全く興味のない未知の分野に切り込まなければならなくなったんです。
その領域の面白さがどこにあるかが分かればまだ良かったんですけど……どうにも面白いと思えなかった。そのうえ、独りよがりというか、『自分の力で克服しなきゃ』という思いがあったからか、新しい研究室の先輩や教授に相談できなかったんです。今思えば周りから結構気にかけてもらえていたんですけどね。それに気付くことができなかったし、僕から相談もできなかった。そういうところでもっと器用だったら、大学院に残りつつゲームも続ける、という道があったのかもしれません。当時の僕は、他人に弱みを見せられなくて。こういうことって、若い頃は誰でもありうることなんじゃないかなって思います。その結果、思い詰めちゃって会社を辞めちゃうとか、最悪自分の命を絶ってしまうとか。
実際には、弱みを見せられるっていうことは、『強さ』かもしれない。自分ができないことを周りに分かってもらうって大事だと今なら分かります。僕に『コミュ力が足りない』と気付かせてくれたのも、そこから伸ばしてくれたのも、ゲームがきっかけでした」
1990年代。小学生のときどは勉強が得意で、クラスではリーダー的存在、何でも人並み以上にできた。だからこそ、小学3年生の頃に従兄に『バーチャファイター』という格闘ゲームで叩きのめされたことが、彼を奮い立たせた。それまで敗北を知らなかった彼にとって、ゲームであっても「真剣勝負の世界」が新鮮だった。
ゲームセンターで「大人の社会」を学ぶ
当時は、『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』といったRPG(ロールプレイングゲーム)が全盛の時代。だが、それらに見向きもしなかったのは“予定調和のイベントをこなす出来レース”に思えたからなのだろう。ゲームを通じて人と闘い、そして勝つ─それが楽しくて、格闘ゲームに没頭した。中学生になると、自分より年上の、ゲームにのめり込んでいるプレイヤーと闘うためにゲームセンターに通い始めた。
「ゲーム機があれば自宅でもプレイできるわけですけど、“強い人たち”と対戦して自分を磨くには、オンライン対戦がない時代ですから、自分が足を動かすしかない。だから、(麻布)中学時代からずっとゲームセンターに通っていました」
そこでときどは「大人の社会」を知ることになる。
「今思うと当たり前すぎることではあるんですが、『親しくないプレイヤーが闘っているのを、身内と同じノリで茶化してはいけない』とか……そんなことなんですけど、当時の僕はなまじ負けなかったせいもあって、天狗になってしまっていたので(苦笑)。親しくしていた年上のプレイヤーから『お前のことを良く思っていない人がいるぞ』と、マナーだったり、目上の人との付き合い方を指導されて。『これが大人の世界か』と思いました。ゲーム以外のいろいろなことも教えてもらいました」