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「けど最終的には体力が切れてしまったというか。タイトル戦で、いろんなところに行って対局しながら、それもずっとやっていたので(苦笑)」

──そんな……苦しいに決まってますよ。そんな、電王戦とタイトル戦を一緒にやってるみたいな……。

「途中からもう、将棋を指すのが……」

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──イヤになってしまった?

「イヤ……には、なっていないんですけど。ボロボロになって。あと順位戦とかがぜんぜん勝てなかったですね。体力的な問題になったというか。家でそんなに研究とか実戦を指していなかったら、大丈夫だったんでしょうけど」

「順位戦で連敗したあたりで『これをこのまま続けたらヤバいことになる……』と思って(笑)」

「元のスタイルは、研究将棋というか、角換わりとか横歩取りとかがメインだったんですけど。戻したら勝てるようになって」

「…………という、感じでしたね」

──……当時の苦しみが、矢倉の再流行で活きてきている面はあるんですか?

「うぅーん…………やっぱり、違う矢倉ですかね」

「(ソフトと指していたのは)組み合う矢倉ですし。形としては、今とは違うような矢倉戦でしたけど。まあでも、序盤の決まっている形を研究するよりも、中盤の力を付けたいというのは、今でも思っていますけどね。それが目標というか」

──あの……今でもやっておられるんですか? ソフトとの対局……。

「今はもう。ソフトが強くなるにつれて、どんどん指すことは少なくなっていったというか」

 かつて囲碁のプロ棋士である大橋拓文六段から、こんな話を聞いた。
『コンピューターに2000敗して世界チャンピオンになった棋士がいる』
 その話を聞いたとき、正直に言えば、半信半疑だった。囲碁なら成立しても、将棋では難しいだろうとも思った。
 しかし……それと同じようなことをした人間が今、目の前に座っている。
 狂気の一人電王戦の末に、豊島は棋聖戦で羽生に敗れた。
 けれどその3年後の棋聖戦で羽生に勝ち、初タイトルを獲得。そこから一気に花開き、わずか1年で三冠。そして竜王名人へと駆け上がる。
 果たして豊島の無謀な実験は失敗だったのか? それとも……。
 話の濃度に息苦しさを覚えた私は、明るい話題で空気を変えようとしたが……。