昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

source : 提携メディア

genre : ライフ, 娯楽

なぜ豊島将之は藤井聡太に6連勝したのか?【流れゆく水のように 豊島将之竜王・叡王インタビュー 第1章】

 豊島と藤井の将棋観の違いは、ソフトを取り入れた時期……正確には、扱い始めた頃のソフトの棋風の違いにある。
 その点は、豊島の分析する通りなのだろう。

 しかし……だとしたら、疑問がある。

 豊島と同世代の棋士たちは、同じようなタイミングでソフトを取り入れているし、駒の価値の件についても同様の発言をしている。
 なのになぜ豊島だけが、藤井に勝てるのか?
 同世代で豊島よりも早くタイトルを獲った棋士もいるのに、なぜ……?

棋聖戦に負けたときが一番苦しかった

──ニコ生だと、同世代のライバルのタイトル戦などが中継されることもあったと思うんですけど、そういうのをご覧になることは……?

「棋譜だけ見てることが多かったですかね。特に当時は。何か、あんまり……全体を見たくないな、というのはあって(笑)」

「自分の将棋に取り入れられるものがあれば取り入れたいけど、なんだか……タイトル戦に自分が出れていなかったら、そんなに見たくないなというのはありました」

──私が豊島先生と初めてお話しさせていただいたのは、佐藤天彦先生と稲葉陽先生の名人戦が岐阜で行われた時でした。豊島先生は解説で来られていましたが……やはり内心、悔しさというものがあった?

「あのときはもう、慣れてきて。他の棋士の方もタイトルを獲って。同世代で活躍されていて。そんなに……まあ、まあ…………いいなぁとは思いましたけど。うらやましいなあとは思いましたけど、冷静に見られる感じで。自分もA級に昇級できたところでしたから」

──焦りなどが大きくなってきた頃というのは……具体的なエピソードがあれば教えていただきたいんですが。

「ああ、苦しかったエピソードですか?」

──端的に言えばそうなっちゃうんですけど(苦笑)。

「なんかずっと上手くいってないような感じは、ちょっとずつ焦りに変わっていったというか……」

 


「初め、王将戦に20歳で挑戦して、負けて。まあでも負けたときは『まだいくらでもチャンスがあるし、明らかに久保先生と自分では実力に差がある』と思っていたので。2勝できましたし、そんなに……負けたから当然、悔しさはありましたけど。先が……先に、希望が広がってるようなイメージはあったんですけど