「そのとき、角を渡して、こっちは歩をたくさん持ってじっとしておくという順で。こっちが苦しそうながらも意外といい勝負というのがあって……」
「藤井聡太さんも、その棋譜を見て『感覚に驚いた』とコメントしていたのがあって」
「それは自分が昔のソフトから影響を受けていたので、そういう感覚になったのかなと思いました」
──無理攻めをしてしまう?
「無理攻めというか、角とか飛車とかの評価が低かったというか」
──駒の価値、ですか?
「ええ。昔のソフトは金銀の評価が高かったので。そういう評価が自分の中に残っていて……多分その後のソフトだと、そこまで極端なことはしていないはずなので」
「藤井さんは、もうちょっと後のソフトから使い始めていると思いますから」
──ソフトにあまり触れていない羽生先生や、触れるのが豊島先生よりも遅かった藤井先生にとっては、驚いてしまうようなものだったと。
「そういうところはあったかもしれません。でもそれは部分的に上手くいっただけかもしれませんし……」
──今おっしゃった将棋は、ご著書『名人への軌跡』にも収録されている、この将棋ですね? 第76期A級順位戦の羽生戦。
「あ、そうですね。はい」
──6四角と切っていくところ。実は私……この手をソフトにかけてきたんです。最新の。
「あ……」
──豊島先生の選んだ角を切る手は、浅い読みだと候補には上がってきません。けど、深く読ませると一瞬だけ出てきます。その後さらに読ませると、また消えてしまいます。蜃気楼みたいに……不思議な一手だと思いました。
羽生は駒の価値について、金を6、角を9とする。角の価値は金のおよそ1.5倍。これは多少の差こそあれ、プロ棋士には共通の価値観といえるだろう。
しかし豊島が戦った当時のソフトは、金を6とした場合、おおよそ角を8と評価していた。
よって豊島は角を切ることをいとわない棋風となる。
その後、ソフトは金を5.5、角を9.5として、伝統的な人間の価値観に歩み寄る。
藤井がそこまで違和感なくソフトを研究に取り入れることができたのは、この価値観の修正が大きいと見ることもできるだろう。
人間は自らの視点でしか物事を把握しないため、「藤井が成長してソフトを研究に取り入れられるタイミングになった」「藤井の棋風とソフトでの研究が噛み合った」と考える。それは否定しない。
しかしソフト側から見れば、また違った結論があるはずだ。
そして豊島は、ソフト側の視点からも物事を見ることができる、希有な棋士といえた。