「心情を吐き出すのは信頼がないとできない。要は素直になるってことですね」
古賀がシーズン全体を見通してメニューを組み、週1回ほどグラウンドに足を運んで練習をチェック。瀬田川が事務関係をバックアップする。競技に打ち込む態勢が整った。古賀が「山縣の自然な動きを大事にすることを心掛けてメニューを作る」と言えば、瀬田川は「きつい場面でも『有無を言わずにやれ』と尻を叩くこともある」と言い、こう続けた。
「15年シーズンはリオ五輪のために休んだんだから、本番では一泡吹かせてやろうって、みんな思ってますよ」
山縣は自らに言い聞かすように語った。
「ダンディー(瀬田川の愛称)は重大な選択をしてくれて、古賀さんとも縁があった。2人には思っていることを言う。覚悟を持って来てくれているから。『古賀さんがグラウンドに来てくれないとモチベーション上がらないよ』とか。『それはやりたくない』とか。心情を吐き出すのは信頼がないとできない。要は素直になるってことですね」
鍼灸、電気治療器、水泳…様々な手法で体をケア
腰痛で4月の織田記念国際、5月のゴールデングランプリ川崎を欠場し、まずは鍼灸師の下に通い詰めることから始めた。腰は当初、「軽度の椎間板ヘルニア」と診断されていたが、医師によって見立ては違っていた。
「ヘルニアかもしれないけど、これくらいでは神経を圧迫して痛くならないはず」などなど。治療を続けていく中で、どうやら痛みの原因は深部の筋肉の疲労ではないかと分かってきた。
山縣が通った鍼灸師は全国に治療拠点を持っていた。東京、名古屋、大阪、広島。そこを回るのを追うように、山縣も各地を回った。治療法は「運動針」という手法だった。
「痛いところに針を刺したまま動くんです。これがめちゃ痛い。刺したまま前後に曲げるんだけど、最初は背筋を伸ばすだけでもすごく痛い。これが少しずつ動かせるようになる」
毎回毎回、うめきながらの“苦行”は続いた。長い時で30~40分間。患部を刺激し終わった針を抜き取ると、なぜそうなるのか分からないぐらい、ぐにゃぐにゃに曲がっていた。
「最終的にスタートの姿勢とかをやって。スタートで(ブロックから)離れて、体重を足で支える姿勢が一番痛かった」
6月の日本選手権は何とか出場したものの、練習不足で全く走れず、北京世界選手権の代表入りを逃した。ただ、腰の痛みはどんどんと解消されてきていた。7月からは10万円の電気治療器を購入して、自分でケアを続けている。
ちょうど前後して始めたのが水泳だ。古賀が言う。
「動かなかったからご飯を食べられなくて痩せちゃっていたんで。やっぱり食べられないのはアスリートとして問題がある。なので、まずは少し動こうと。水泳は腰に負担がかからないですから」