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「エンジンを一回り大きくしないと、自己記録更新は望めない」 

 70㎏ほどあった山縣の体重は、この頃、66㎏まで落ちていた。東京都内で使えるプール を探して、週1、2回泳ぐようになった。山縣は笑いながら回想する。 

「水泳は中学以来でしたね。最初はクロールなんて水をガバガバ飲んじゃって。まあ、でもだいぶうまく泳げるようになったし、タイムも伸びましたよ」 

 そして10月からは大きく舵を切った。ウエイトトレーニングを始めたのだ。 

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 これは大きな決断だった。 

「力が全てじゃない。無駄のない走りをしていけばタイムは伸びる。筋繊維が細い日本人だからこそ、そこに目を向けるべき」 

 そう語ったことがあったほど、ウエイトトレーニングの導入には慎重だったからである。筋肉が付きやすい体質で、余計な部位に余計な筋肉が付いて“重り”になってしまうことをずっと懸念していた。 

 だが、前のオフシーズンに米国のトラッククラブ「ハドソン・スミス・インターナショナル(HSI)」に短期留学し、その際、同クラブが日常的に行っているウエイトトレーニングに触れるなど、ちょうど自分でも新たな一歩を踏み出すタイミングだと感じていた。

「エンジンを一回り大きくしないと、自己記録更新は望めない」 

 3年前のロンドン五輪から、タイムを伸ばせていない停滞感があった。

「足を速くする手段としてウエイトをやっている人がいるので、やらない手はない。やらないで後悔したくはない」 

 山縣は、そう思い始めていた。 

©文藝春秋

太ももや臀部、体幹、肩甲骨周りの厚みも増して...リオ五輪へ

 そんな時、セイコーホールディングスの服部真二会長の紹介で知り合ったのが、トレーナーの仲田健だった。仲田はプロゴルファーの石川遼やプロ野球阪神タイガースの桧山進次郎を指導した実績を持っていた。陸上に関しては、仲田自身も立命館大時代に円盤投げをしており、2000年前後には女子短距離をリードしていた新井初佳(現姓・小島)も担当したことがあった。 

 その仲田と共にウエイトトレーニングに取り組みだした。仲田は山縣と出会った当時を、こう振り返る。 

「上半身と下半身のバランスが悪かったですね。体の使い方が悪くて、課したメニューができず『悔しかった』と言っていました」 

 目指すのは筋力を付け出力を大きくすること。もちろんスピードが落ちては意味がない。

「重たいものを上げるばかりでなく、軽いウエイトで速さを意識したり、伸張反射(筋肉の瞬間的な収縮)を利用したメニューを組み合わせたり状況を見ながらですね。山縣君は感覚、感性がすごく鋭い。どこの筋肉が張っているとか、どこの動きが悪いとか違いを敏感に感じられる。その感性の鋭さというのは先天的なものだと思いますね。ずば抜けています。ですので、彼が『体の動きが遅くなっている感じがする』と言えば、『じゃあ、こうしよう』と相談しながら進めてきました」 

 太ももや臀部、体幹、肩甲骨周りの厚みが増した。リオ五輪で戦う準備は、ひっそりと、それでいて着実に進んでいた。