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親の「子殺し」がもつ意味

 いまはまだしも、親が実の子を殺すことは常識では考えられないことだった。それはまた、戦争へ向かおうとする時代の日本にとって、国家を支える家と家族制度を破壊する重大な行為でもあった。

 検挙直後の1935年12月18日付東朝朝刊には「實の親子間に あり得る事か こゝに鈍る當局の豫断」という記事が載っている。捜査当局の話として「真実の親子間にこんなことが行われ得べきことではないので、捜査本部の内輪にも謀殺説が立てられたが、まさかとその意見を排してきたのだ」としている。

 それが当時の普通の受け止め方だったのだろう。12月19日付東日朝刊は怒りと焦りを最大限の表現で次のような記事にした。それは時代が求めた声だったのだろう。

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 残虐極まる殺人事件として世人の耳目を聳動(しょうどう=人心を驚かせ揺さぶる)せしめた本郷の日大生殺しは、果然保険金目当ての両親の謀殺事件と判明。しかもわが子に凶刃を振るった謎の下手人は母親と断定された。焼け野の雉(きぎす)、夜の鶴。自分の腹を痛めた実子を、しかも高等教育を受けさせて日大歯科3年まで進級し、実社会にスタートさせるのもここ1、2年の先に見えながら、かかる犯行をあえてしたことは世界にもその比を見ない冷酷無比な事件で、ことに実父の教唆により、実妹と共謀で自宅で惨殺するに至っては、わが国犯罪史上全くその類例を見ざる、わが家族愛の放棄であり、母性愛への反逆で、神人相容れぬ戦慄に耐えぬ犯罪である。

「焼け野の雉、夜の鶴」とは、いずれも子どもを思う深い慈愛を表すたとえ。事件はそうした日本の美徳の基本概念を破壊すると捉えたのだろう。もちろん、その論理は現代にはそぐわないが、親殺し、子殺し、虐待が頻発するいま、はたして代わりにどんな論理があり得るのか。

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【参考文献】
▽「大審院刑事判例集第17巻」 法曹会 1938~1943年
▽太宰治「花火」=「文藝」1942年10月号所収
▽澤地久枝「保険金殺人の母と娘」=「昭和史のおんな」(文藝春秋、1980年)所収
▽中川日史「いのちの四季」 筑摩書房 1972年
▽田村祐一郎「家族と保険」=「生命保険論集No.148」(生命保険文化センター、2004年)所収
▽月足一清「生命保険犯罪 歴史・事件・対策」 東洋経済新報社 2001年
▽太田金次郎「法廷やぶにらみ」 東京書房 1958年
▽森長英三郎「日大生殺し事件」=「史談裁判第3集」(日本評論社、1972年)所収

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 生々しいほどの強烈な事件、それを競い合って報道する新聞・雑誌、狂乱していく社会……。大正から昭和に入るころ、犯罪は現代と比べてひとつひとつが強烈な存在感を放っていました。

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