プラハのカレル大学で日本文学を研究しているヤナ。17歳の時、一度だけ来日し、ツテを辿って東京に滞在していた。ある時、偶然知った作家・川下清丸に心惹かれ、研究対象にする。一方渋谷には、日本に焦がれるあまり幽霊となったヤナが閉じ込められていた。分裂したヤナのふたつの世界が重なり、やがて――。疾走感あるジャパネスク小説を執筆したのは、チェコの作家、アンナ・ツィマさん。自身も子どもの頃から日本文化に夢中だったという。
「父が映画の脚本家なので、私も家で映画をたくさん観ていました。日本映画の中では、特に黒澤明作品を観ていました。特に好きだったのは、『酔いどれ天使』と『七人の侍』です。13歳の頃、インターネットで情報を入手できるようになり、日本のアニメやマンガも観るようになりました。他にも、父から薦められてチェコ語に訳された芥川龍之介の短編集を読んだり、自分の小遣いで購入した村上春樹『アフターダーク』のチェコ語訳などを読んでいました。そしてヤナと同じく、17歳の夏には1カ月日本に滞在しました。知り合いの渋谷の家に泊まらせてもらったのですが、お金があまりなかったので、ほとんど渋谷から出られなかった(笑)。でも、数日使って広島、京都、奈良、姫路を回りました。『源氏物語』の舞台を歩きたかったのに、京都で1日しか過ごせなかったことをずっと後悔していました(笑)」
ますます日本に魅せられたツィマさんは、プラハにあるカレル大学に入学後、日本文学を研究する。しかし、資料が足りなかった。
「私は戦後の小説を研究したかったのですが、カレル大学の蔵書にある日本文学は大正時代から昭和初期の戦前中心だったんです。日本文学のチェコ語訳が足りなくて、英語翻訳も手に入れるのが難しかったので、来日するまではいろいろ困っていました」
日本への思いが募るなか、小説を書き始めた。
「私は子供のころから〈物語〉が大好きで、さまざまなフィクションの世界に入りたい、とずっと思っていました。エキゾチックで遠い世界に行きたかったんでしょうね。そして物心がついたときから、何かを書く人になろうと思っていました。『シブヤで目覚めて』を書き始めたのは、大学の学士3年生の頃です。日本文化を学ぶ女性の大学生活の話で、はじめ、舞台はプラハだけだったのですが、編集者と相談するなかで、日本をもうひとつの舞台にする、分裂のアイディアが生まれました。私は、日常的な小説よりも、少し大げさな話が好きなのかもしれません。興味深いキャラクターや、予測しがたいストーリー、終盤に転換があるような小説を読むのが好きで、そうしたものを書きたいと思っています。それは、ミステリが好きであることとも関係があるかもしれません。修士論文は松本清張の『点と線』や島田荘司の『占星術殺人事件』で書きました」
1人の人間の身体と精神が分裂し、プラハと渋谷、2つの土地をさまようアイディアは、ツィマさん自身の悩みにもつながっている。
「私は日本に留学してそのまま住み続けているけれど、時々ホームシックになります。でも、日本にずっといたい気持ちもある。一度遠い国に憧れると、自分の将来がわからなくなります。今は、日本の小説の翻訳もしていて、チェコにたくさん紹介したいと思っています。高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』や島田荘司『占星術殺人事件』は、すでにチェコ語訳を刊行することができました。小説家としても、次回作を練っているところです」
Anna Cima/1991年、プラハ生まれ。カレル大学哲学部日本研究学科を卒業後、日本に留学。本書で2018年にデビューし、チェコ最大の文学賞であるマグネジア・リテラ新人賞ほかを受賞。現在は日本に在住。