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イラク戦争で崩れた“後方地域”の線引き

柳澤 そもそも自衛隊の歴史を振り返ると、まず、私が防衛庁に入ったとき(1970年)には、自衛隊は現に存在していて、相当大きな組織になっていたという現状があったわけです。そこから、92年にカンボジアPKOに出るまでは、訓練は別として、自衛隊が海外で仕事をするなんてことはまったく誰も考えてこなかったんですね。そこで、カンボジアのときは、停戦合意ができた後、中立で、まったく戦闘的な要素がないという条件下で自衛隊を出す……つまり、道路を直すだけなんですよという理解で乗り越えたわけです。

 次に、97年の日米防衛協力ガイドライン見直しのときに、後方地域支援という概念が出てくる。要は、自衛隊はものを運んであげたりはするけど、米軍と一緒に戦闘はしないんだ、そこを合憲性のメルクマールにしましょう、というアイデアです。それならばギリギリ憲法9条のいう武力行使には踏み込んでいない、という考え方をしたんです。

 そのときは朝鮮半島有事があった際の米海軍への支援を想定していたわけですが、私もその状況での「後方地域」というのは、きちんとイメージできました。というのは、アメリカ軍がピケットを張っていれば、その後ろ側に北朝鮮の軍隊が出てこられるわけはないので、確かに後方地域かそうでないかははっきり区別できるんだろうな、と。しかしながら、それがイラクに行くと、陸上ですから、「米海軍よりもこっち側に相手は来られないだろう」という状況ではなくなっちゃうわけですね。

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――後方地域というものがイメージできなくなってしまったと。

柳澤 イラクではそれを「非戦闘地域」と呼んで、自衛隊の任務は給水活動や道路の補修みたいな、戦闘とは全く縁のないものに限定しますという言い方をしたんだけど、現地では「この線からこっちは武装勢力がこない」などとは、全く言えない状況だったわけです。だから、イラクのような地上において、非戦闘地域のような線引きをするのは、実際はかなり無理があったな、と私は思ってるんです。幸い、自衛隊が戦闘に巻き込まれることはなかったから、そこの矛盾はそれ以上突っ込まれないで終わったんですが、誰か一人でも亡くなっていたら、それこそ大問題になって、その後の南スーダン派遣なんかはできなかったと思いますよ。

 

憲法解釈は単なる言葉遊びになった

 ただ、それでも、イラクのときは「アメリカの戦闘行為と一体化しない」という区分はできていた。しかし、安倍さんの安保法制の中では、現に戦闘が行われている現場でなければ良い、ということにしたわけです。今、そこで大砲を撃っていなければ、その大砲のために弾を持っていってもいいよ、という話になってきた。それは、そうしないと現実では何もできない、ということが明らかになったからなんですが、しかし、そこまで行っちゃうと憲法解釈はもう単なる言葉遊びで、実際は一緒に戦闘していることになってしまうんじゃないかと私は思います。

――かつては「自衛隊は米軍と一線を画さなければいけない」と考えられていた。安全保障の仕組みを現実に合わせつつも、憲法9条との兼ね合いから、そのギリギリのラインをなんとか守ろうとしていた……というお話だと思います。

 ただ、そもそも、その「ギリギリのライン」自体が一つの憲法解釈にすぎないと考えれば、安倍政権の解釈改憲もまた、これまで同様、現実に対応していく行動のひとつだったとならないでしょうか。どうも、イラク派遣の際との違いがわかりにくいのですが。