柳澤 それはどなたでも一緒です。私は4人の首相にお仕えしましたが、安全保障について詳しい中身をご存じの方は一人もいらっしゃいませんでした。それから、兵器マニアみたいな人もいなかったですね。
「私は石破さん、好きなんです」
――兵器マニアというと石破茂さんのことを思い浮かべますが、自衛隊や防衛省の関係者に聞くと、評価が両極端に分かれる印象があります。柳澤さんはどう見ていらっしゃいますか。
柳澤 私は石破さん、好きなんです。すごく真面目だし。よく議論もしましたね。でも、石破さんのやり方として、頭の固い高級幹部と話をするよりも、若い人を呼んで、そこでいろいろ知識を得たり、議論したりすることを好まれるんです。それはやはり、偉い官僚や幕僚にとってはあまり面白くない話ですよね。
要は、いい加減なごまかしが効かないという意味で、やりにくい大臣だったと思うんですよ。私は「そこは問題だけど、今、現実の政治的な環境の中でこれしか選択肢はないでしょ」という議論が石破さんとはできた。でも、頭ごなしに「それはダメですよ」みたいな対応をしたら、あの方とはうまくいかないでしょうね。
――そのあたりが、人によって評価が分かれるポイントだということですね。話を安倍さんに戻しますと、柳澤さんは『SIGHT』という雑誌のインタビューで、第二次政権について「過去を全部白紙にして戦前に戻そうという政権」と仰っています。そのような戦前回帰的な傾向は、内側からご覧になっていたときからあったんでしょうか。
あの執念は何だったのか?
柳澤 いや、そこはあんまり感じなかったですね。それよりも、第二次政権で私が思ったのは、この人の動機は何なんだろうということです。第一次政権で立ち上げた集団的自衛権の有識者懇も、結論が出たのは福田総理のときで、福田さんは「そんなもの、俺はいらねえ」とまで仰っていたんです。だから、これは内閣の連続性があるから受け取ってください、と話をしたりしたんだけど、ともかくも、集団的自衛権の話は具体的な政策として実現する、というものではないと思っていました。でも、安倍さんは第二次政権で、またそれをおやりになると。その執念はどこから来るんだろうな、と考えたんですね。
これは私の分析なんですが、やっぱりおじいさんの岸信介総理を、自分の目標として持っていたのではないかと思うんです。岸さんがやったことというのは、安保改定ですよね。一応、アメリカと対等な同盟関係らしきものをつくったわけですが、「アメリカは日本を守るけど、日本はアメリカを守らない」という関係性が残って、その矛盾は解消されなかった。だから、それを自分がなんとかするんだと。噛み砕いていうと、おじいさんを超えるという、自己実現の意欲のように私には映ったんです。
――その一方で、たんなる「反アベ」には限界があるとも指摘されています。お年寄りが官邸前で「憲法守れ、安倍辞めろ」と叫んでも、健康保持のためにはなっても、若者の支持が得られないと。
柳澤 現実にデータで見ると、若い層ほど支持が高いわけですからね。そうすると、私も年寄りだけど、年寄りがそれはけしからんから安倍辞めろと言ったって、堅い支持を得ている相手がいて、その背景には若い人たちのいろんなものの考え方がある。そこに今の護憲運動の大きな課題があるんだろうと思っています。