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「このままでは自衛隊員が死ぬかもしれない」17年前、イラク派遣を統括した男が危惧する“最悪の事態”

柳澤協二さんインタビュー#1

2021/07/11
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解釈改憲は「ちゃぶ台返し」だった

――柳澤さんは護憲リベラル系の集会などに呼ばれやすく、ご自身もそう周りから思われているのではないですか。

柳澤 まあ、そうでしょうね。

――では、護憲リベラルとの間にギャップといいますか、違和感を以前から感じられていたということなのでしょうか。

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柳澤 集会での質問を聞くとね、「そこはだいぶ俺と違うな」と感じるところはあるんですけどね。ただ、とにかく集団的自衛権の問題とか、非常にテーマが明確だったので、当時は回数は少ないけど、右の人から呼ばれたこともあります。そこでは、20代、30代の人たちに何を伝えて、残していかなきゃいけないかという気持ちでやっていたので、あんまりギャップは感じませんでした。

――結果的に安倍さんは2014年、それまでの憲法解釈を変更し、集団的自衛権を容認する閣議決定を行いました。このことについてはどう考えていらっしゃいますか。

柳澤 自衛隊は長いこと、武器を使う権限をもった行動はしてきませんでした。でも、正式に内閣総理大臣の承認が必要なミッションとして、初めて海上警備行動(1999年の能登半島沖不審船事件)をやったときに、私は運用局長でした。その後、官邸にいたときには、2度目の海上警備行動(2004年の漢級原子力潜水艦領海侵犯事件)もありましたし、ソマリア沖の海賊対処のときも、内閣官房で法律を作ったりしました。だからなんだかんだいって、私は自衛隊の創設以来、実力を伴う行動にはずっと、そのすべてに関わってきたんですね。

 

 そういう場での自身の仕事はもちろん、他にも先輩や上司たちが、みんな苦労して憲法解釈をやってこられたのを見てきている。だから、そんなちゃぶ台返しをやるんだったら、これまでの苦労は何だったんだ、という思いはありました。それに、アメリカに向かっていくミサイルを日本が撃ち落とすことは物理的に不可能なんですよ。北極の上を通って飛んでいくわけだから。そういうありもしない例で政策が変わっていくのはどうなのかな、運用の合理性から考えてもおかしいんじゃないかな、と。

ギリギリの憲法解釈に潜む“危うさ”

――なるほど。ただ、集団的自衛権の話については、柳澤さんが官房副長官補時代に関わっていらっしゃった、自衛隊のイラク派遣などと地続きの部分もあるのではないか、という気もします。イラク派遣のとき、「非戦闘地域」「国または国に準ずる主体」といったキーワードが作られました。柳澤さんは『自衛隊の転機』という本の中で、こうした憲法解釈は「ガラス細工」であり、「ある意味、日本人の憲法感覚に合わせながらできるだけのことをやろうとする知恵であり、また、実際にそれ以上のことをしないから矛盾が顕在化しないという『歯止め』の役割を果たしてきたのだと思います」と書かれていますね。

柳澤 そうですね。

――つまり、憲法解釈はギリギリをやっていかなきゃいけないんだと。ただ、このギリギリというのは、解釈改憲と背中合わせの部分があるのではないでしょうか。個別的自衛権だって、かつて吉田茂が否定していましたよね。それが後に“憲法解釈”によって認められた。とすると、イラク派遣の際に行われた「ガラス細工」のようなギリギリの憲法解釈も、危ういものだったとは思われないですか。ようするに、柳澤さんのお仕事と安倍さんの言動、どこに切れ目があるのだろうか……ということなのですが。