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3対3の対立

「急な場合に、いちいち両総長を追いかけまわして花押をいただくのは、大変ですし、緊急に間にあわなくてもいけません。この書類に花押をください。もちろん会議をひらくときは、これまでの手続きを守り、あらかじめの了解をえますから」

 と、そういわれて、両総長は深い魂胆が隠されているとも思わず、花押をした。

 御前会議の正規の手続きはそろっている。

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 こうして8月9日午後11時50分、ポツダム宣言受諾をめぐる御前会議が、御文庫付属の地下防空壕でひらかれた。出席者は、6人の最高戦争指導会議構成員のほかに平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)枢密院議長、そして陸海両軍務局長と書記官長が陪席した。15坪の狭い部屋は、換気装置はあったが、息詰まるように暑くるしかった。しかし、誰も暑さなどを気にとめていなかった。にじみでる額の汗をぬぐうハンケチが、ときおり白く揺れた。

 天皇を前にしての、台本のない議論は、低い声ではあったが、真剣そのものにつづいた。一カ条件案と四カ条件案をめぐって、会議は3対3にわかれた。東郷、米内、平沼と阿南、梅津、豊田の対立となったのである。

 時刻は10日午前2時をすぎた。いぜんとして議論はまとまらなかった。結論のでないままにこの会議は終るのであろう、まさかに票決という強硬手段を首相がとるとも思えぬ。首相がどうしたものか、もてあましているように誰もが考えた。人びとの注意が自然と首相に集った。

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 そのときである。首相がそろそろと身を起して立ちあがった。

「議をつくすこと、すでに2時間におよびましたが、遺憾ながら3対3のまま、なお議決することができませぬ。しかも事態は一刻の遷延も許さないのであります。この上は、まことに異例で畏(おそ)れ多いことでございまするが、ご聖断を拝しまして、聖慮をもって本会議の結論といたしたいと存じます」