「オレはこの内閣で辞職なんかせんよ」
「吉積、もういい」
と、陸相は軍務局長の肩を何度もたたいた。
軍務局長の痛憤には理由がないわけではなかった。御前会議をひらくときは事前に了解をとる、また、本日は結論はださぬと、迫水書記官長にいわせておきながら、首相みずからぬけぬけと聖断を仰ぐという畏れ多いことをしたのである。陸軍をこけにしたともいえるのである。
御前会議ののち、ただちに閣議が再開された。細かい議論はあったが、閣議は御前会議の決定をそのまま採択した。席上、阿南陸相は鈴木首相にたいし、「敵が天皇の大権をハッキリみとめることを確認しえないときは、戦争を継続するか」とたずねた。首相は「もちろん」と答えた。陸相は米内海相にもおなじ質問をしたが、海相もまた戦争継続に同意した。午前4時近く、全閣僚は必要な文書に花押して閣議は散会した。阿南陸相も躊躇なく花押した。東郷外相の頭は心労のため、真ッ白に変じていた。
陸軍出身の安井藤治(やすいとうじ)国務相が、士官学校同期の陸相の心情と立場を思いやって、人影のないところで、ざっくばらんに聞いた。
「阿南、ずいぶん苦しかろう。陸軍大臣として君みたいに苦労する人はほかにないな」
「けれども安井、オレはこの内閣で辞職なんかせんよ。どうも国を救うのは鈴木内閣だと思う。だからオレは、最後の最後まで、鈴木総理と事を共にしていく」
と阿南陸相はしっかりといった。