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《津久井やまゆり園》「精神鑑定」で浮かび上がった植松聖の本性…“やんちゃなお調子者”が“戦後最多の殺人犯”に変貌したワケ

『元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件 裁判の記録・被告との対話・関係者の証言』より #1

2021/08/14

genre : ニュース, 社会

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長続きせず様々な職場を転々とする

 高校は、面白そうだという理由で調理科に進学。勉強は中の下くらい。バスケ部に所属した。高校2年生の時にバスケ部員を殴り1か月停学になったが、夏休みと被っており特段影響はなかった。女性と交際したり、バイトをしたり、バイクを乗り回したり、学生生活を楽しんでいた。

 父が小学校の先生だったこともあり、「先生になりたい」と言い、AO入試で大学では教育学部に進んだ。しかし勉強には熱心に励まず、飲み会中心のサークルに所属していた。大学2年生のころ、脱法ハーブに手を付ける。週数回吸引。大学3年頃、刺青を入れた。他方で学童保育のバイトや障害者施設で教育実習をした。しかし採用試験は受けなかった。自意識過剰でナルシストで、他人の意見を聞かないといった面が見られ、その一方で気遣いができる人なのではないか、という精神鑑定での評価もあった。

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「脳が壊れた」ので大麻を吸うように

 卒業後は、「楽そう」と考え運送会社に就職。自販機に飲み物を補充する仕事をしたが、わずか8か月で退職している。彫師をめざして師匠の許可なく勝手に客をとったこともあったという。当時は違法ではなかった脱法ハーブを使い、後に「脳が壊れた」ので大麻を吸うようになったという。社会人になってからは、街でけんかをすることもあった。車の運転で暴走したり、赤信号を無視したり交通違反で捕まることもあった。この頃から金儲けの意識に目覚め、「出会い系」で知り合った女性をアダルトビデオに出演させようとしたことがあった。

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 その後は知人から「楽だよ」と聞き、やまゆり園に2012年、就職した。当初は「障害者はかわいい」と話していたが、働く意義を見失いはじめ「給料のために働いている」と思うようになった。一人暮らしを始め、時間に余裕ができたことと、親の目がなかったこともあり、クラブに行ったり、出会い系アプリで出会った女性と交際したりするなどした。大麻を使うようになったのは23歳の頃である。一方で「自宅に盗聴器をしかけられている」という被害妄想的な発言もするようになった。この頃から職場での仕事が雑になった。私生活でも信号無視をしたり、殴り合いのけんかをしたりする。イルミナティカードにはまった他、美容整形をしたり、髪を金髪に染めたりしたのだ。