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 東宝争議は4月8日の首切り通告以来既に80日。閉ざされた撮影所の再開もまだ見込みは立たないが、この間会社の給料不払いで撮影所の従業員は内職に大わらわ。本職の映画を他社で撮るのが2本あり、これに文化、厚生両事業班の活動と、国鉄など大どころの組合に呼び掛けて8月いっぱいまでは“組合給与”でしのぐソロバンは立ちそうだという。

 新演技座プロに組合が技術スタッフを出して「小判鮫」を松竹下加茂で撮る協定が成り、これで組合に転がり込む金がざっと100万円(現在の約1030万円)。ほかに豊田四郎監督、三浦光雄カメラマンが京都あやめ池のマキノ芸能で俳優座の「堕胎医」を作ることに話が決まったが、スターも浜田百合子が松竹に借りられたのをはじめ、池辺良、志村喬が大映、龍崎一郎が東横へ出演契約金の一部を組合へ寄付するし、その他若山セツ子、久我美子、三船敏郎ら男女優は谷口、黒澤、成瀬、小田監督らの率いる11班の文化事業班に加わり、本格的に撮影所劇団を組織し、日建て1万円(同約10万3000円)から3万円(同約30万8000円)ぐらいで稼ぎ回ることになり、まず谷口組は若山セツ子らを連れて2週間の予定で日立連合会の各分会を回るため、さる25日出発した。

組合員は内職で自活に追われた(朝日)

 苦肉の策の「出稼ぎ」だった。豊田四郎は戦前「小島の春」、戦後は「夫婦善哉」などで知られ、志村喬は黒澤明監督の「七人の侍」「生きる」などで主役を務めた名優。若山セツ子は三船らと同じ東宝ニューフェース1期生で「青い山脈」などに出演したが、のち自殺。「谷口」は「暁の脱走」などを監督した谷口千吉、「成瀬」は「浮雲」などの成瀬巳喜男、「小田」は小田基義のこと。「堕胎医」は1949年に黒澤明監督が「静かなる決闘」として映画化する。記事にはさらに涙ぐましい話が――。

 厚生事業班では、大道具の大工さんが手弁当で建築の請け負い=日当250円(同約2600円)、撮影部のカメラマンが労組、学校へ出張撮影、録音はラジオの修理、結髪は婚礼のおクシ上げから花嫁の着付けまで間口を広げて、この方だけで月20万円(同約206万円)の収入があり、毎日組合に持ち込まれる闘争資金は、25日現在で150万円(同約1540万円)を突破したと組合では言っている。

「2人がいる限り、仕事をしない」

 7月5日になると、反組合の従業員によって「東宝民主化クラブ」が結成され、東宝従業員組合が組織された。8月11日付朝日に「門にバリケード 東宝二組合にらみ合う」の記事。東宝従業員組合などで作る「東宝労連」が会社側と協定を結んだのに対して、日映演側は撮影所にバリケードを築いてにらみ合っていると伝えた。

撮影所裏門のバリケード(「東宝二十年史抄」より)

 このころの撮影所内部のことを黒澤明監督は自伝「蝦蟇の油」に書いている。「外から入り込める所には全て鉄条網を張り、お手の物のライトを配置して夜間の襲撃に備えた。傑作は表門と裏門の防備で、両方とも門に向かって大砲のように撮影用の大扇風機を据え付け、いざという時のために、目つぶし用に唐辛子の粉を多量に用意した」。

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黒澤明 ©文藝春秋

 8月13日付朝日は「渡辺、馬淵 両氏を拒否 東宝『芸術家会議』で声明」と報じた。

「彼らと仕事はしない」とした監督たちの声明書(「画報近代百年史第18集」より)

「東宝・山本嘉次郎監督ら演出、脚本家、プロデューサーから成る芸術家会議全員24名は12日、撮影所紛争につき『渡辺社長、馬淵重役の2人が東宝を主宰する限り、仕事をしない』旨の声明書を発表した。要旨次の通り。最近、渡辺社長、馬淵重役らは紛争解決の手段として従業員間に軋轢を起こさせ、流血の惨を辞さない暴挙に出てきた。われわれは彼ら2人が東宝を主宰する限り、仕事をしない」