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 大友の感情に、紅い炎がともされた。ロンドン五輪でメダルを獲り、自分の思いを娘、家族、故郷に届けようと決め、身を裂かれる思いで自宅がある西宮に戻った。

「待っているからな」

 しかし、その半年後、またもやアクシデントに襲われる。チームのつなぎ役として存在感を示しつつあった11年9月のアジア選手権で、右膝の前十字靭帯と内側側副靭帯を断裂、全治6カ月の大怪我を負ったのだ。リハビリ期間を考えると、オリンピックにギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際。大友はひどく落ち込んだ。

「東日本大震災を経験し、故郷の人たちが懸命に明日に希望をつなげていた。そんな姿を目の当りにし、日本人はなんて素晴らしいんだろうと思っていたし、だからこそ日本の代表として闘うことに、なおさら誇りを感じていた時期だったんです。娘に寂しい思いをさせているのも、オリンピックのため。それがすべてナッシングになってしまいました……」

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大友愛に激励の言葉をかけた眞鍋政義監督(写真はリオ五輪時) ©文藝春秋

 足の痛みより、心の傷が癒えそうになかった。

 治療のため、チームを離れる大友に眞鍋は声をかけた。

「待っているからな」

 この言葉にはどれだけ救われたか分からない。

戻って来るためだったら、どんな困難も乗り越えられる

「戻ってくる場所があるというのは、人をすごく安心させるんです。これまで大きな怪我をしたことがなかったので、手術、リハビリがどんな形で進むのか不安だったけど、また日の丸のユニフォームを着て闘えるチャンスを示してもらえたのは、地獄で仏にあったような気分でした。ここに戻って来るためだったら、どんな困難も乗り越えられると思った」

 眞鍋だけでなく、コーチ陣のサポートも大友に前を向かせた。その秋に行われたワールドカップに、まだ松葉杖が必要な大友も帯同させる。だが、大友の心境は複雑だった。

「みんなが頑張っているのに、私は何の役にも立っていないと確認するだけ。せめて、仲間の洗濯物でもしたいと考えても、身体が動かない。かえって気を遣わせているだけで、大事な大会の邪魔になっているだけじゃないかと落ち込むばかりでした」

 そんな心中を察したコーチ陣は、観客席から対戦相手のスコアをつけることを大友に命じた。