「チームのためのデータ取りではないんです。対戦相手のスコアをつけさせることによって、私の試合勘が狂わないように、そして闘争心も失わないようにというコーチ陣の計らいでした」
「自分は何の役にも立たない」と落ち込んでいた
試合のデータを取るのは初めてだった。一から付け方を教えてもらったが、ときには間違えてしまう。すると、ブロックコーチの大久保らが、その間違いを指摘してくれる。大会期間中、監督やコーチは試合の分析や対戦相手の研究でほとんど寝る暇がない。大友がつけるデータは大会には何の役にも立たないが、その日の仕事を終えたコーチ陣が朝方、大友が出したデータの間違いを正したものを持ってきてくれた。若宮らトレーナー陣も、他の選手のケアが終わった後で、大友の足を必ずチェックし続けた。
自分は何の役にも立たないと落ち込んでいた大友に、彼らのさりげない気遣いは心に染みた。
そのサポートは、大会が終わっても続いた。ワールドカップ後は国内リーグが始まるため、全日本は一旦解散になるが、東京・西が丘のナショナルトレーニングセンターでリハビリを続ける大友に、コーチ陣が手分けしてボール練習などを付き合った。
「自分ひとりで闘っているんじゃない」
「私専用のメールアドレスを作ってくれたんです。そこに、『明日、ボール練習がしたい』とか、『サーブを打ちたい』とかメールを打つと、コーチたちが都合をつけ合って、誰かが来てくれた。マネージャーの宮崎(さとみ)さんも、『トレセンに用事があったから』なんて、本当は用事なんてあるわけないのに、度々励ましに来てくれたんです。長いリハビリ期間中、気持ちが切れなかったのは、彼らのおかげでもあるんです」
コーチ陣が作った大友専用のアドレスは、「Support ai」だった。
眞鍋の言葉やスタッフの熱意に支えられた大友は、懸命にリハビリに取り組み、五輪最終メンバー12名に選ばれる。
大友が中国戦のあと娘を抱きたい衝動にブレーキをかけられたのは、眞鍋やスタッフのきめ細かなサポートに触れ、「自分ひとりで闘っているんじゃない」という強い信念があったからだ。
「私は故郷の人々、スタッフ、仲間、みんなの思いを背負い、みんなの代表として闘っている。中国戦に勝ったからと言って、気持ちを緩めるわけにはいかなかった」