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「熊沢天皇」にGHQは…

昭和天皇(右)とマッカーサー

 それに対してGHQはどこまで真剣に対応しようとしたのか。

「熊沢天皇始末記(上)」によれば、ケーディス元GHQ民政局次長は、著者の秦郁彦氏への手紙で「ユーモアの領域で理解していて、本気で討議したことはなかった」と述べたという。「『占領軍が熊沢を後押ししている』とか『裕仁天皇との人気競争をやらせている』といったたぐいの話は、根拠の乏しい臆説にすぎなかった……」と同書は書く。

 また、「熊沢天皇」の出現が一斉に報じられた直後の1946年1月25日、マッカーサー元帥は東京裁判での天皇の扱いについて有名な電報をアイゼンハワー陸軍参謀長(のちアメリカ大統領)に送っている。

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「天皇を起訴すれば、間違いなく日本人の間に激しい動揺を起こすであろうし、その反響は計り知れないものがある。まず、占領軍を大幅に増大することが絶対に必要となってくる。それには最小限100万の軍隊が必要となろうし、その軍隊を無期限に駐屯させなければならないような事態も十分あり得る」(古関彰一「新憲法の誕生」)

 思うに、「熊沢天皇」が登場した段階で、既にマッカーサーは、昭和天皇の存続と、東京裁判での不訴追を決意し、さらに新憲法での象徴天皇制さえも想定していたのではないか。

 それを日本政府に伝えず、天皇制が依然として危機にあると思わせておく方が占領政策上は得策だ。「熊沢天皇」は、そうした占領行政のために天皇を利用しようとするマッカーサー=GHQの思惑に使われたのではないか。あるいは、熊沢本人は自分につながる後南朝の血統を公認してもらうことが望みだったのかもしれない。それが取り巻きにあおられおだてられたうえ、乗っかったメディアに「天皇から皇位を奪おうとする『天皇』」などとはやし立てられてその気になった。国民も半ばコメディーを見る気分でからかった――。そんな気がする。GHQとメディアに踊らされたピエロだったとは言いすぎか。

晩年の「熊沢天皇」(「週刊現代」より)

 川島高峰「敗戦 占領軍への50万通の手紙」は、敗戦後の国民が天皇と天皇制をどう捉えていたかを手紙などを通して考察している。その中で次のように述べている。

「天皇の人間宣言という後見があったにせよ、戦後日本人がこれほど天皇制を前向きに議論しようとした時期はなかった。一般に天皇制擁護が多数を形成していたが、単に多数であるということ自体では、この問題の解決にはならなかったのである。この意味では、天皇制問題に関するマスメディアの議題設定の仕方、つまり、国民の何パーセントが天皇制を支持しているかという報道の仕方にも問題があった」

「熊沢天皇」問題も同じだ。もっと本質的な論議をすべき機会だったのに……。それからちょうど70年。宮家長女の結婚騒動を見ていると、そうしたメディアの体質はそれほど変わっていないと思えてならない。

【参考文献】
▽熊沢寛道「南朝と足利天皇血統秘史 万世一系はいづこ」 三秘同心会 1962年
▽玉川信明編「エロスを介して眺めた天皇は夢まぼろしの華である」 社会評論社 1990年
▽森茂暁「闇の歴史、後南朝」 角川選書 1997年
▽丸山照雄ら「戦後史の天皇 総解説」 自由国民社 1986年
▽古関彰一「新憲法の誕生」 中央公論社 1989年
▽川島高峰「敗戦 占領軍への50万通の手紙」 読売新聞社 1998年
▽吉田長蔵「新天皇論」 千代田書院 1952年

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 生々しいほどの強烈な事件、それを競い合って報道する新聞・雑誌、狂乱していく社会……。大正から昭和に入るころ、犯罪は現代と比べてひとつひとつが強烈な存在感を放っていました。

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