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 これを受けて「熊沢天皇」が動いた。7月6日付朝日には「黒白を決しに 熊澤氏上京す」の記事が。法相の答弁をあいまいだと憤慨。「自分は絶対不敬罪などで罰せられる理由はない」と抗弁のため5日朝上京。「木村法相に談じ込み、調査あるいは取り調べの有無につき、真相の洗い直しを迫るという」とある。

 興味深いのは記者が「あなたは世上伝えられるよう、即位を求めていますか」と聞かれたのに対する答え。「別に要求はしていません。自由な言論の時代になって憲兵の圧制がなくなったので持ち出したまでです」。1月21日付読売報知の記事でも、要求は祖先の墳墓の調査と公認、神社の社格の昇格だと語っている。当初の報道や吉田の言う「譲位要求」と、どちらが本音だったのか。

「熊沢天皇不敬罪問題」とマッカーサーの反応

「熊沢天皇」の派手な動きは右翼を刺激。「不敬罪」が現実問題となる。同年9月8日付読売報知には「不敬罪で告訴 “熊澤天皇”とアカハタを」という記事が載っている(「告訴」は「告発」の誤りか)。

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「大森区田園調布、福田素順氏は7日、“熊沢天皇”こと熊沢寛道、共産党書記長・徳田球一の両氏と同党機関誌『アカハタ』編集部員3名を不敬罪として東京地方検事局に告発した」

「内容は、熊沢寛道氏は天皇の名称を僭称し、自分こそ真の皇統だと言っている。しかし、皇統は三種の神器によって受け継がれるもので、これにまさる証明はない。また、徳田氏以下3名は『アカハタ』に掲載した天皇に関する記事と漫画が不敬罪になるというにある」

 結論はすぐに出た。「“熊澤天皇”ら不起訴」(同年10月2日付朝日)。東京地検が調査・研究した結果、「天皇ご一身に対するそしりを内容とするものではないから、犯罪は構成しない」と判断。「アカハタ」や徳田書記長らについても「天皇の行動に対する政治的批判ないし、その政治的責任の追及にとどまるもの」とした。

 これに強い反応を示したのはマッカーサー元帥だった。10月10日付毎日1面に「新憲法の精神を顯(顕)現 “熊澤天皇不敬事件”却下を偁(称)揚 マ元帥聲(声)明」という記事。9日に発表された声明はこうなっていた。

「熊沢天皇」不起訴をマッカーサーは称賛した(朝日)

「議会で採択されたばかりの新憲法中に具体化された『全ての人々は法の前に平等であり、日本のいかなる個人でも―天皇でさえも―普通の人間性を否定した法的保護の下にあってはならぬ』という根本観念の注目すべき適用である」

「民主主義は生き生きとしたものである。もし、市民が自由に意思を発表することが許されなければ、それは死滅するであろう」

「国の象徴として彼(天皇)に与えられた保護は、市民に与えられた保護と同じでなければならぬ」

 4月に正式発表された憲法改正案はちょうど10月7日に衆議院の同意を得ていた(10月29日成立)。