「問題は血のつながりの有無ではなく…」
「エロスを介して眺めた天皇は夢まぼろしの華である」によれば、6月18日付読売には評論家・大宅壮一の談話が載っている。
「これで彼に“拝顔”の光栄に浴するチャンスはなくなったわけだが、これまで私は、彼の身辺から送られてきた各種の刊行物などを通じて、この自称“天皇”の言動に興味を寄せていた」
「“熊沢天皇”の場合、彼の主張が正しいかどうかを鑑定する能力が私にはない。私の想像では、比較的正しいものの一つであろう。しかし、いまとなってはそれは問題ではない。血のつながりをたどっていけば、全ての日本人がどこかで皇室につながっていることになる。“一億総天皇家”ともいえよう。問題は血のつながりの有無ではなく、そのつながりを世間が承認しているかどうか、というよりも、それにふさわしい地位、権力を保持してきたか、いまもつながっているかどうかということにかかっている。そうでないと、単なるピエロに終わる。“熊沢天皇”がそのいい例だ」
確かに「熊沢天皇」は敗戦後の混乱期に現れたピエロだったのかもしれない。1997年出版の森茂暁「闇の歴史、後南朝」は、応仁の乱に呼応して蜂起した人物について史料をたどっても「南朝後胤が誰であるか、他の場面に登場する南朝後胤との関係など、肝心なところはほとんど不明である」と断定している。「熊沢天皇」側の主張は学術的には大きな無理があったのは間違いない。
彼らの「南朝復権」の願いは真剣なものだっただろうが、天皇が敗戦の責任を問われ、天皇制が最大の危機に直面した混乱期に便乗。地位や名誉などの利を図ったことは否めない。大勢の「天皇」の中にもっと実利を得ようとした人もいたはずだ。
反天皇グループによる「戦後史の天皇 総解説」は「天皇家の『万世一系』は、歴史を真摯に見れば幻想の産物であることが即座に分かるが、熊沢の主張はその幻想に別の幻想を対置したことにある。人々は彼の出現に初めは驚き、戸惑い、そして幾分からかいの気持ちを込めて拍手を送った」と記述。「熊沢天皇が社会的な関心を呼んだのは、彼がそうした一切の秩序を無視して自らの正統性を主張するという“ドン・キホーテ”ぶりに理由があったのだろう」としている。これも「ピエロ説」と同じだろう。