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19人? 30人? 実はたくさん登場していた「自称・天皇」

 しかし、“騒動”はなおも残った。「天皇」は熊沢寛道だけではなかったからだ。1950年6月4日付夕刊読売には「夕べの話題」として「6人の自称天皇 熊沢家本家争い 敗戦日本の茶番劇」の記事が。

自称天皇が続々現れ、混乱も(夕刊読売)

 寛道以外の熊沢一族の人物が「われこそ熊沢天皇」と名乗りをあげたことから、「本家争い」が起きていると指摘。「こうした自称天皇たち―終戦後、われこそ正統の天皇なりと名乗り出た人たちは、目ぼしい者だけで全国に6人いるが、これは敗戦日本の“茶弁劇”にすぎないであろうか」と書いている。

「特集人物往来」1959年4月号の「罷り通る“自称天皇族”」という記事はそうした自称天皇を列挙している。(1)は熊沢寛道だが、後は――。

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(2)「熊沢天皇家の本家」であると称する「後熊沢天皇」(愛知県)

(3)同じく「熊沢天皇家」の本流だとしている「第二代池の端天皇」(名古屋市)

(4)第112代霊元天皇の子孫という「安川天皇」(京都市)

(5)第96代後醍醐天皇の末裔だと名乗り出ている「仙海天皇」(不明)

(6)第99代(南朝第4代)後亀山天皇の末裔と公表している「酒井天皇」(岡山県)

(7)第81代安徳天皇の末裔であると任じている「法天皇」(熊本県)

(8)同じく安徳天皇33代の末裔と言っている「長浜天皇」(鹿児島県・喜界島)

(9)第98代長慶天皇35代の子孫と名乗る「後長慶天皇」(愛知県)

(10)第97代後村上天皇の末裔と自称する「上村天皇」(福岡県)

(11)第84代順徳天皇の流れをくむ「佐渡天皇」(新潟県・佐渡)

(12)安徳天皇の子孫という「横倉天皇」(高知県)

 このうちの「長浜天皇」や、長慶天皇の末裔という「三浦天皇」(愛知県)、後醍醐天皇の子孫を名乗る「外村天皇」(名古屋市)、後醍醐天皇の血筋をひく「大室天皇」(山口県)らは、メディアに“後日談”が取り上げられた。

 保阪正康氏は1987年4月の「文藝春秋ノンフィクション」で「天皇が十九人いた」を書いているが、そこには「佐藤天皇」(岡山県)、「竹山天皇」(静岡県)、「伊藤天皇」(奈良県)らも登場する。さらに「約30人いた」という説も。まさに“雨後のタケノコ”のようだ。

研究者は全面的に否定した(読売)

「自称天皇の語る系譜なるものは、すこぶるあやふやなものであるが…」

 瀧川政次郎は「自偁天皇はどうして生れるか」(文藝春秋1957年6月号)で

「多くの自称天皇に共通なことは、子孫であると自称する天皇が、後醍醐天皇またはそのご子孫である南朝の諸天皇、もしくは安徳天皇であることである。これらの天皇は、いずれも三種の神器を擁した正統の天子でありながら、あるいは海に投じ、あるいは奥山に朽ち果てた薄幸の天子であって、そのご子孫はおわしたのやら、おわさなかったのか、定かには知られない状態にある。従って、自称天皇の語る系譜なるものは、すこぶるあやふやなものであるが、さりとてこれを否定する史料とてもない」

 と述べている。