「金品の贈与は日本の政界ばかりでなく占領軍筋にも及んでおり…」
「明治百年100大事件」などによる昭電疑獄の筋読みはおおよそこうだ。当時の内閣は民主、社会の連立内閣で、それをホイットニー、ケーディスらGSが支援していた。当時の国家地方警察と検察はその影響下にあった。
それに対しウイロビー部長のG2はGSに対抗心を持っており、警視庁に影響力を及ぼし、自由党を政権の座に就けようと考えていた。昭電疑獄はG2に利用される結果になった。「戦後史大事典」はさらにはっきり「GHQのタカ派G2が、昭電幹部と癒着しているGS追い落としを狙った警視庁へのリークが発端」と記述している。
当のウイロビーG2部長も回顧録「知られざる日本占領」の中で「これを摘発したのは、主として、ほかならぬG2であった」と認めている。「日野原の陳述によれば、金品の贈与は日本の政界ばかりでなく占領軍筋にも及んでおり、GSもその例外ではなかった。いや、GSが主な対象だったと言ってもいい」とも。
秀駒とは本名・小林峯子。美貌をうたわれた新橋芸者だったが、日野原節三・昭和電工社長が愛人にし、東京・杉並区に料亭を持たせた。そこを舞台に政府、金融関係者、GHQへの接待工作が行われたとされる。細菌戦部隊「七三一」の隊員だった二木秀雄が主宰する雑誌「政界ジープ」は、秀駒が鶴代の洋装店で買う洋服が月に十数万円(いまなら百数十万円か)に上ったとしている。
これに対し、鶴代は自伝で大筋こう説明している。昭電疑獄が起きたころ、ある日、洋装の女性が自宅の前を行ったり来たりしているので、お手伝いに尋ねさせると、ハニーデューメロンを持って戻ってきた。「日野原様のことでぜひお目にかかってお願いしたい」と言っているという。すぐ秀駒だと分かったし、昭和電工のことだと思ったので「お目にかかれない」と伝え、メロンは返した。
「ケーディス様が一言言ってくだされば、何もかも決まると聞いています」と札束を差し出し…
翌日、マネジャーをしている洋装店を訪れてきたので会うと、日野原が逮捕されていて、昭電の役員から鳥尾夫人に頼みに行くように指示されたと話し「どうぞケーディス様にお願いしてください。ケーディス様が一言言ってくだされば、何もかも決まると聞いています」と札束を差し出した。