「私の足音が聞える」の本文末尾を「私はその後も私の人生観を変えない。お金では買えないものを美しいものを尊び、探し求め、できる限り自由に、そしてそのために働き、愛を大切にし、一日一日を大事に楽しく過ごしたいと思っている」と結んでいる。
木村勝美氏の「子爵夫人 鳥尾鶴代」にある「戦後を奔放に生きた鳥尾子爵夫人」と添えられた写真は、コート姿で、「70代になっても、その姿は若々しかった」という写真説明通りだ。
「ワタシが最初のパーティーに着物を着て行ったのは…」
良家の子女として生まれ育ち、華族の嫡男と結婚。優雅な上流階級の生活を送り、敗戦後は、時の権力者の占領軍高官と恋愛関係に陥る。その一方では働いて自活し、子どもを育てる。彼女の一生を振り返ると、徹底した自由主義と個人主義が特徴的だ。それと一貫した強烈な自己主張。
ただ、自伝の通りとは考えにくい点もある。もう1冊の「おとこの味」には、ケーディスを“落とそう”と狙ったことが分かる描写がある。「ワタシがGHQのケーディスを引き付けたときには」「かなり意識的であったことは確かである。ワタシが最初のパーティーに着物を着て行ったのは、大味なアメリカ女に比べ、それがどんなに彼らの心を捉えるかを知っていたのである」。
自分の女としての魅力を知り尽くしたうえでの計算。男を利用する意図と条件が彼女には備わっていた。「子爵夫人」の肩書に執着し、夫や恋人には社会的な影響力とバイタリティーを求めた。愛を言う裏側に現実的な打算があったとしても、誰も責めることはできないだろう。
一方で、彼女が嫌われた理由も分かる。それは、彼女が他国に占領された日本を体現していて、屈辱感、悔しさを呼び覚ますからだ。
「文藝春秋」1952年6月臨時増刊号は、独立を記念して占領の総括をしている。評論家・大宅壮一は占領の約7年間で失った最大のものは「世界一横暴と折り紙を付けられていた日本の男性の地位」で、逆に「一番得をしたものは何といっても日本の女性である」と言い切っている。
同じ号では社会心理学者の南博・一橋大助教授(のち教授)がインタビューした「鳥尾夫人の生活と意見」という記事が載っている。その中で彼女は当時の日本人社会に対して強烈な言葉を投げ掛けているが、それは現在にも十分通用する。
私は、嫌なことならば100万円もらってもしない代わりに、自分が正しいと思ったことならば、どんなことでもします。私は誰の命令も聞かないで、自分で自分の主人なの。それが本当の民主主義なのでしょう。とにかくいままでの日本人は、誰か上に立っていて、その人の命令で動くことしかしなかったのだから、とても民主主義などにはなれないわ。ちっとも戦争前と変わってないじゃないの。
【参考文献】
▽木村勝美「子爵夫人鳥尾鶴代 GHQを動かした女」 立風書房 1992年
▽鳥尾多江「私の足音が聞える マダム鳥尾の回想」 文藝春秋 1985年
▽「別冊1億人の昭和史 昭和史事典」 毎日新聞社 1980年
▽古関彰一「新憲法の誕生」 中央公論社 1989年
▽鈴木昭典「日本国憲法を生んだ密室の九日間」 角川ソフィア文庫 2014年
▽マダム鳥尾「おとこの味」 サンケイ新聞社 1969年
▽橋本徹馬「占領治下の闘い」 紫雲荘出版部 1952年
▽松本清張監修「明治百年100大事件 上」 三一新書 1968年
▽「戦後史大事典増補新版」 三省堂 2005年
▽C・A・ウイロビー「ウイロビー回顧録 知られざる日本占領」 番町書房 1973年
▽斎藤昇「随想十年」 内政図書出版 1956年