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連載昭和事件史

2021/12/19

 鶴代は「確かにケーディスさんはよく知っていて、大好きな親友です。彼はお金で自分の意見を変えるような人ではない。最も大切な親友をお金で裏切るようなことはできません。私には何もできません」と札束を泣き崩れる秀駒に握らせて帰したという。

 この際、鶴代は「いままでもパージその他、どんなことを頼まれても、一度もお金や物をいただいたことはありません」と語ったという。

疑獄追及で秀駒も新聞に登場した(読売)

「そのうち私たちはいつも尾行されだした。もちろん日本の警察の人たちにである」

 鶴代は自伝で昭電疑獄について「この事件で世の中の人々は、私が日野原氏から何百万円ものお金をもらったと思っていたようだ。10人の中9人まではそう思っていた。そして雑誌には書き立てられ、雑誌記者には付け回され……」と述べている。パージについても――。

「皆右往左往して、自分だけはパージから逃れようとしていた。パージの大元締めがケーディスだったことは知られており、直接ケーディスには会えないため、沢山の人が秀駒のように私を狙って頼みに来た。相当な札束が動いたのは事実である。鳥尾夫人に頼んであげるから、それにはお金が必要だ、まず貢物だと仲介に入った人が依頼人から預かるのだ。私は誰にも会わなかった。そして、その依頼人から預かったお金はウヤムヤに消えてしまった。だから頼んだ人は、私が巨万の富をつくったと思っただろう」

 楢橋渡は1946年、内閣書記官長退任後、約2年間、公職を追放されたが、解除の際にも鶴代からケーディスに口利きがあったといううわさが流れた。

「しかし、私はいつもぎりぎりの生活をし、一生懸命に働いて子どもを育ててきた。ケーディスも軍からの給料以外は何もなかった。私たちは馬鹿だろうか? 私はそうは思わない。いつも私は、自分で正しいと思った道を行ってよかったと思う」

 全てが言葉通りではないとしても、その点は信じられるような気がする。

 この間、G2の手は鶴代とケーディスに伸びていた。「知られざる日本占領」によれば、G2はかなり以前からケーディスの周辺を調べていた。FBI(連邦捜査局)とペンタゴン(国防総省)にケーディスと彼の部下の前歴、家族、知人関係などの書類の送付を依頼。東京でも約1カ月半かけて素行、思想を調査した。

 その中には鳥尾鶴代とのスキャンダルも含まれていた。総合的な報告書がワシントンに送られた。「私の足音が聞える」は「そのうち私たちはいつも尾行されだした。もちろん日本の警察の人たちにである」と書いている。