26歳になる期で、負け越せば退会、勝ち越せば来期への延長が1期(半年)認められる。都成との対戦を迎えたとき、竹内はあと1敗すれば退会する状況にあった。
「あんなに嫌な対局はありませんでした。彼が来期も残るには3連勝しかないんです。自分はもう昇段には絡んでいなかったのですが、変な手心みたいなものが出て、それで負けてしまったら、自分自身の一生がダメになりそうで怖かった」
その将棋は、大熱戦になった。途中、鼻炎がひどく苦しそうな都成に、竹内は持っていたティッシュをそっと渡した。ハッとした。彼が置かれているのは自分よりもずっとしんどい立場なのに、相手のことまで気遣えるなんて。
この対局に竹内は勝ち、残りも連勝して残留を果たした。しかし、結果的に四段になることはできず、2014年に奨励会を去った。
竹内の送別会には、多くの人が集まった。退会が決まってから日が経っていたので、本人は吹っ切れた感じだった。対して、奨励会の送別会では送る側にやり切れない思いが残る。都成はこの日、一次会から激しく酔い、泣き崩れた。誰にも言えない辛さをわかり合えていた友だった。送別会で泣いたのは、このときだけだった。
「お前、甘えるなよ」「がむしゃらに、将棋に打ち込んでみろよ」
そして師の谷川も苦悩していた。史上2人目の中学生棋士だった自身は、考えることもなかった年齢制限の壁。今、その壁が弟子を圧し潰そうとしていた。だが、師としてできることは限られている。棋士になるには、自分で強くなるしかないのだ。
三段になって9年目の秋になった。年が明ければ都成は26歳の誕生日を迎える。今度が年齢規定による最後のリーグ戦になる。
その日、都成は関西将棋会館で練習対局した後、糸谷哲郎八段(当時、竜王)と近くで夕食を共にした。軽く済ませて帰るつもりだったので、2人ともカレーを頼んだ。糸谷は1歳上だが、すでにタイトルの最高峰竜王を獲得した関西若手の旗手である。都成は親しみを込めて彼を「ダニー」と呼んでいた。
食事が終わった頃、それとなく三段リーグの話になった。糸谷はいつも最後まで話を聞いてくれる。親しみから、都成は少しネガティブな感情がこぼれた。
「このままじゃ、あかんなぁ。自分みたいな人間は、誰かに厳しく言ってもらわないとダメなんだよ。谷川先生は、優しい言葉しかかけてくれないから」
黙って聞いていた糸谷がすぐに言い返した。
「お前、甘えるなよ」
どきっとする口調だった。糸谷は続けた。
「都成に必要なのは、効率を考えてやることじゃない。がむしゃらに、何十時間も将棋に打ち込んでみろよ」