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“瞬殺”だったモントリオール五輪決勝

 第21回オリンピックはカナダのモントリオールで開催された。日本女子は圧倒的な力で予選リーグと準決勝ラウンドを勝ち進み、世界女子バレー界の定石のように決勝は、日本対ソ連だった。

 白井は後にこう述べた。

「ソ連のスタメンを見たとき、もう勝ったと思いました。だって、監督が予想を立てた布陣そのままだったし、これまで練習してきたことを忠実にこなしていけば、絶対に勝てるって」

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モントリオール五輪決勝でソ連にリベンジを果たした白井貴子選手 ©文藝春秋

 結果は、白井の言う通りだった。しかも3セットをほんの55分で終わらせるという五輪決勝戦の最短時間まで作った。

 試合終了後、山田が執拗に研究してきたギビ監督が、勝利を讃える握手を求めてくる。その手は冷たく、目には涙が滲んでいた。山田は複雑な思いで握り返した。

「敵をあんまり知り過ぎると、かえって情が移ってしまうもんですね。試合の途中から彼がなんか可哀そうになってきて……」

 そんな胸のうちを封じ込め、山田は試合後の記者会見で初めて満面の笑みをみせた。

「皆良くやってくれた。ベンチにいる私は、ただ彼女たちの青春の躍動を見ていれば良かった。こんな素晴らしい乙女たちがいるだろうか。つくづく私は選手に『ありがとう』と感謝した。今こうして東京五輪以来12年ぶりに王座を奪い返し、選手たちが大喜びしてくれる姿を見て、あの十字架のように重かった“銀メダル”(メキシコ五輪)が金メダルに変わったんだなあと、つくづく感じる。本当にいい選手に恵まれた。一緒にオリンピックを目指せたことが幸福だ。皆に、ありがとうと言いたい」

 その翌年、日本で初めて開催されたワールドカップでも山田率いる全日本が優勝。山田は世界選手権、五輪、ワールドカップを制し、世界初の三冠監督になったのである。

 ソ連という最強のライバルを抱えながら、お互いに鎬を削り腕を磨いた、日本女子バレーの黄金期でもあった。それを支えたのは、日本、ソ連共に、バレーは“お家芸”という国家の威信をかけた絶対に譲れないプライドだった。