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連載日の丸女子バレー 東洋の魔女から眞鍋ジャパンまで

「指が折れていようと、私はコートに立ちますから」〈28年ぶりのメダル〉を日本女子バレーにもたらした竹下佳江の覚悟

日の丸女子バレー #1

2021/12/11

 2012年のロンドン五輪で銅メダルに輝いた女子バレーボール日本代表。その監督を務めた眞鍋政義氏(58)が、2016年以来、5年ぶりに日本代表監督に復帰することが決まった。10月22日、眞鍋氏はオンライン会見でこう述べた。

「東京オリンピックで10位という成績にかなりの危機感を抱いている。もし(2024年の)パリ大会に出場できなかったら、バレーボールがマイナーなスポーツになる“緊急事態”であるということで手を挙げさせていただいた」

 女子バレーは2021年の東京五輪で、“初の五輪女性監督”中田久美氏(56)が指揮を執ったが、結果は25年ぶりの予選ラウンド敗退。1勝4敗で全12チーム中、10位に終わった。

 正式種目となった1964年の東京五輪で、記念すべき最初の金メダルに輝き、「東洋の魔女」と呼ばれた日本女子バレー。だが、その道のりは平坦ではなかった。半世紀に及ぶ女子バレーの激闘の歴史を、歴代選手や監督の肉声をもとに描いたスポーツノンフィクション『日の丸女子バレー』(吉井妙子著・2013年刊)を順次公開する。(全48回の1回。肩書、年齢等は発売当時のまま)

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28年ぶりのメダル獲得

 ロンドン五輪の室内競技場の聖地・アールズコート。会場をぎっしり埋めた観客が、今しがた行われた女子バレーボールの3位決定戦、続く決勝戦の激しい闘いの余韻に浸(ひた)りながら、コートの中央に設けられた表彰台を一心に見つめている。

 ブロンド、黒髪、アッシュ、そして年配から子供まで、さまざまな国籍の人々が観客席をぎっしりと埋めていた。これぞまさにオリンピック――国を超え、文化を超え、あるいは宗教を超え、その思いは選手へのねぎらいと賞賛でひとつになっていた。

「ブロンズメダル、ジャパン!」

 観客席から大きな拍手と歓声が上がる。

 主将の荒木絵里香を先頭に、12人の戦士が照れくさそうに、それでいて誇らしげに表彰台に上がった。

 2012年8月11日、眞鍋政義監督率いる日本女子バレーは28年ぶりに銅メダルを獲得したのだ。

ロンドン五輪で銅メダルに輝き、喜ぶ選手たち ©文藝春秋

 1人ひとりに銅メダルがかけられる。首から提げた輝かしい栄光の標(しるし)がやけに重い。

 コートを挟んだ向こうには、眞鍋やコーチ陣が抱き合い、ジャンプし、手を振り、身体いっぱいに喜びを爆発させていた。アテネ五輪、北京五輪に出場し、10年以上も全日本のセッターを務めてきた竹下佳江は、小躍りしているスタッフ陣を見ながら、「ロンドンまでの3年半、共に考え、汗を流してきたみんななのに、どうしてそっちにいるんだろう?」と怪訝に思った。

 厳しい試合を闘い抜き、喉から手が出るほど欲しかったメダルにたどり着いた竹下には、晴れの表彰式で、選手とスタッフが違う場所にいることが、一瞬、理解できなかったのだ。

 それほど頭の中では、選手とスタッフが同化してしまっていた。

 しかし、オリンピックのメダルは選手のみに与えられるもので、スタッフには授与されない。

 竹下はメダルをかけられるとき心の中で呟いた。いや、竹下だけではない。選手全員が、歓びに胸を震わせながらも同じことを考えていた。

「このメダルは監督、コーチ、スタッフ全員で獲ったもの。私たちが代表でもらっておくね」