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「誰に上げても大丈夫、という確信があった」

 竹下が振り返る。

「大事な場面でミスすると、その選手は萎縮してしまい、次は私に打たせないでという雰囲気を出すものですが、このときの江畑は違った。次も私に、という強い意志が見えた。でもそれは、この場面に限ったことではありません。大会期間中、逃げている選手、引いている選手は1人もいなくて、1点1点確実に勝つという執念のような気配を全員に感じていました。だから、誰に上げても大丈夫、という確信があったんです。中国は、私たちが攻めるたびに、こんなはずじゃない、こんなはずじゃないというような顔をしていましたね」

 竹下から繰り出された信頼のトスに江畑はきっちり応えた。

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 英国人の観客が多くを占める会場は、中国から放たれるバズーカ砲を、佐野や竹下、木村などがフライングレシーブで拾いまくる姿に驚嘆していた。徐々に日本人選手のプレイに呼応しはじめ、デュースにもつれ込む江畑のストレートが決まると、観客席は歓声に揺れる。

 勝負の瀬戸際で眞鍋が動いた。ピンチサーバーに控えセッターの中道瞳を呼んだのだ。

 中道は狩野舞子と共に、2枚替え要員だった。この2枚替えは、背の低い竹下が前衛に来たとき、ブロックを強化するため186センチの狩野を前衛にいれ、中道がセッターの役目を果たすという日本独特の選手起用法だった。

 ところが、五輪の予選ラウンドではこの2枚替えがうまく機能していなかった。そのことにひどく落ち込む中道と狩野に、眞鍋はこう声をかけていた。

「オリンピックではブラジルやアメリカでさえ2枚替えに失敗している。お前たちだけじゃない。だから気にするな。これからも使うから落ち込んでいる場合じゃないぞ」

 眞鍋の気配りに、2人は大粒の涙を流した。

 そんな中道にとって、最終セット16対16の場面は、チームに貢献する最大のチャンスだった。

ロンドン五輪での木村沙織選手(左)と竹下佳江選手(右)

 セッターというポジション柄、他人の心を読む術(すべ)に長(た)けていた中道には、ソ・シュンライが動揺しているのが見えた。彼女は正面に来る強いサーブより前後に揺さぶる軌道に弱い。データはそう示していた。イメージ通りに放たれた中道のサーブはソ・シュンライのレシーブを乱し、ダイレクトに戻されたボールを荒木が決めた。今度は逆に日本がマッチポイントだ。

 眞鍋の心拍数が一挙に上がる。

 中道は相手コートを見つめ、再び守備陣の穴をサーブで狙った。中国のレシーブは乱れ、リベロが必死に足を伸ばして返そうとするが、そのボールはコートの外にこぼれた。

 中道のサーブで、それまでの息詰まるフルセットの闘いに終止符が打たれた。

 会場が弾けた。歓喜の日の丸が揺れる。

 アジア王者の中国が、日本の術中にがっちりはまった。日本が五輪で初めて、厚い壁となって立ちはだかっていた中国を破った歴史的な瞬間でもあった。

 試合中には何時(いつ)も、作戦が詰まったiPadを離すことがなかった眞鍋は、第5セットに入った途端、この頭脳ボックスをベンチに置いた。

「ここまできたら、あとは作戦というより精神力の勝負。彼女たちのメダルに賭ける執念を信じました」

 28対26、23対25、25対23、23対25、そして第5セットは18対16とすべて2点差だった。この数字には格別な意味があると眞鍋は言う。

「日本と中国の数字がほとんど一緒なんです。スパイク決定率、スパイク効果率、サーブ、ブロック、ディグ(スパイクレシーブ)などのスタッツ(統計値)が見事に並んだ。この数字は何を意味しているのか。つまりデータ的な実力は互角なんです。でも、日本が勝った。それは精神力の差。チーム全員が、日の丸の重さをこれまでになく胸に刻んだからこそ、勝利をもぎ取ったんです」